ひとり山歩き562 : 県境のピークを栃木側からの一環として、台倉高山を無砂谷から登り、馬坂峠経由で周回してきました。最初の無砂谷右岸林道と最後の馬坂林道歩きは、特に危険箇所はありませんでしたが、距離が長く苦労しました。無砂谷から取り付いた尾根と県境尾根は部分的に密藪に悩まされました。
無砂谷から台倉高山(2067)周回
2014年7月23日(水) 曇り
1 行程
@コースタイム : 自宅(7/22 23:25) = 無砂谷橋(2:25/2:35) − 平五郎沢(5:05) − ナガフセリ沢橋(6:25/6:35) − 尾根取付き(6:55/7:00) − 標高1600(8:00) − 笹薮消える(標高1820)(9:25/9:35) − 県境尾根出合(1950級ピーク)(10:35/10:40) − 標高点1895(11:20) − 台倉高山(13:15/13:35) − 三段田代(14:50) − 鹿の休場(15:15) − 馬坂峠(16:00/16:10) − 栃の葉橋(17:55/18:00) − 馬坂林道2号線入口(19:50) − 無砂谷橋(21:30/21:40) = 自宅(7/24 1:00)
Aルートマップ
B写真集

3 自宅 −無砂谷橋
 群馬あるいは福島との県境にある名のある山で栃木側から登っていないのは台倉高山だけである。ただし、燕巣山は栃木側からテント泊で行っているので、日帰りの挑戦をせねばと考えている。台倉高山に栃木側から登るには、馬坂林道2号線を馬坂峠まで歩き(あるいは途中まで車を利用)という手もあるが、あまりにもピークハンティング的で、自分の山歩きの矜持が許さない。Yoshiさんが05年4月の残雪期に、楡の木沢林道から平五郎山〜引馬峠〜台倉高山〜無砂谷左岸尾根〜川俣大橋と周回した記録がある。無雪期であれ残雪期であれ、自分にはこれを日帰りするだけの力量はない。@宇都宮さんが08年9月に無砂谷のナガフセリ沢橋付近から尾根に取付き県境尾根(1950級ピーク)に登って、台倉高山直下で折り返して、引馬峠経由で無砂谷に周回した記録がある。この記録を参考に台倉高山に登り、馬坂峠からは馬坂林道を利用して周回することにした。@宇都宮さんの記録と自分の記録を参考に所要時間を推定すと16時間程度となった。一応明るいうちにスタート地点の無砂谷橋(無砂谷林道口)に戻るべく、前日の23時半に家をでることにした。最近の山行ブランクによる脚力不足で所要時間が伸びても、最後は長い林道歩きで、暗くなっても歩けるということで問題なしとする。
 無砂谷林道入口に位置する無砂谷橋は、6月19日に帝釈山〜田代山(ひとり山歩き558)の出発地点・馬坂林道入口から約5km先で道筋はよく知っているので、カーナビを無砂谷橋にセットして安心して運転していた。川俣大橋経由で無砂谷橋に向かっているのに気づいた。川俣大橋から無砂谷橋の間は09年10月4日(ひとり山歩き374)に楡の木沢林道から平五郎山に登り、無砂谷右岸林道に下山した際、歩いたことがあり悪路であることを思い出した。慌てて土呂部経由にコース変更した。その結果、計画よりも多少遅れたが3.5kmの悪路運転で、無砂谷橋に到着した。
 
4 無砂谷 − 台倉高山  山行ブランクによる体力の衰えで計画よりもドンドン遅れる  尾根取付き〜標高18200までと県境尾根の1895から先の藪に悩まされる 黒岩新道なんてとうの昔に消えている
 無砂谷林道口から少し先の駐車地から明瞭な踏跡があったので、これを進めばすぐに無砂谷林道に出合うと推測して歩き始めた。ところがすぐに、踏跡は消えてしまったので、少しばかり藪を漕いで林道に出る。林道は最近の降雨で沢状に水が流れ泥濘が生じていた。、ヨモギ沢橋を渡ると無砂谷左岸林道が分岐しているはずだが、確認はできなかった。第二無砂谷橋手前になると泥濘は少なくなったが、落石が増えても歩きづらいということはない。橋をわたると崩落箇所があったり、林道は踏跡程度の箇所が現れたりするが特に危険ということはない。伊勢崎沢は最初は橋でわたり、次に渡渉するが狭いので特に問題はなかった(確か雪田爺さんはこの沢をさかのぼって平五郎山に登られたことを記憶している)。ヘッデンでは前方の見通しが利かないので、道筋を探すのに行ったり戻ったりでで多少時間をロスするのは仕方がない。前回歩いた時には崩落していてトラロープ設置箇所があったが、今回はロープを見ることは無く、慰霊碑に達した。写真を撮ってヘッデンを消灯(4時36分)。
平五郎山から下山した地点はこの辺と思いながら歩いていると、左手に積雪量計が見えた。前回は平五郎山下山後にここに立ち寄っている。その時に比べて借り受け証のポールが倒れているくらい。この先で胸丈の笹地帯が現れるも区間が短くすぐに突破。平五郎沢は狭く水量は少なかった。
 平五郎沢から先は、一箇所だけ北側が崩落してトラロープが設置してあった。無砂谷右岸林道ではこの地点だけが要注意箇所である。子落沢からはゆるやかに下ってゆくが、草付きで道筋は踏跡程度になっている箇所あるも概して林道の形状は残している。ナガフセリ沢橋でエネルギーを補給して、すぐに始まる尾根歩きに備えた。
 ナガフセリ沢橋を渡ると、すぐ先で崩落地となり林道は跡形も無い。注意しながら越すとすぐに林道が現れ、前方に取り付くべき尾根筋が見えるようになった。林道が東から北向きに変わる地点から尾根に取り付くことにした。無砂谷右岸林道には特に危険箇所はなく、ロープの助けを借りるのは一箇所で比較的楽に歩ける。脚力の衰えは如何ともしがたくここまでに0.5時間の遅れ、先が思いやられる。

左: 慰霊碑 右: 積雪量計(当初借受S53.12.5 現行契約期間H26.4.1〜29.3.31)


左: 北側崩落地(写真の奥側は踏跡は細く要注意) 右: 倒木と落石


林道の様子(代表例) 左: 平五郎沢と子落沢の間 右: 子落沢とナガフセリ沢の間


左: ナガフセリ沢橋 右: 尾根取付き(林道は更に前方へ)
 尾根に取り付くとすぐに笹薮と急登に悩まされる。黒檜の大木と古い切り株が目につく。背丈を越す笹薮が断続して現れる。時には笹薮の下に獣道も現れるが、その区間は短い。尾根に取り付いて1時間で標高1600に達して勾配は幾分緩むが相変わらず笹薮は波状的に出現。標高1800が近づくと笹薮は薄くなり、変わって針葉樹の小藪が現れるが、これは問題にするほど密でない。標高1820で笹薮が消えて、エネルギー補給。
 しばらくは藪なしの尾根を緩やかに登ってゆく。標高1900が近づくと、カニコウモリを中心とした下草で覆われ、勾配が増してくる。展望は全くなく、高見を目指して汗をタラタラ流しながらひたすら我慢の子なるぬ悲鳴のジジイ。標高1920でコブが現れ方向を西に変えて、少し下って登り返すと県境尾根出合(1950級ピーク)。尾根取付きからここまでの遅れは約1時間、都合1.5時間の遅れ。これから先もドンドン遅れるから明るいうちに駐車地に戻るのは無理。でも間違いなく、馬坂峠には明るいうちにたどり着くからここで引き返す手はない。
 ここから台倉高山の間は、山部さんとノラさんの引馬峠の日本最高所の水準点探索に刺激されて、07年8月25日(ひとり山歩き290)に台倉高山方面から歩いたことがある。尾根直下の福島側は藪が薄かったことを思い出し、意識的に福島側をたどる。1895ピークに南鞍部までは下草を踏みながら特に藪もなく下る事ができた。問題はこの先で登り返しになると密な笹薮に悩まされるようになった。特に1895から北鞍部にかけての笹薮はきつかった。笹薮を抜けると、泥濘状の湿地(地形図にある湿地帯の東側)に出合う。ここが最低鞍部と判断してコンパスを合わせて台倉高山方面を目指す。依然台倉高山から下った時には、黒岩新道の名残りの踏跡を拾うことができたが、幅広の尾根筋であるから何処にあるか分からず、獣道らしいものを追っていると、これは古い登山道と思われるような踏跡に何度も出合うがすぐに藪で消えてしまう。何箇所かで古い赤布も見たりした。ここまで来てしまったら、バテないように休み休み登ってゆく。何度も踏跡とテープを見つけるも長続きはしなかったが、どちらかと言うと福島側に道は付いていたようである。(参考:ヤマレコ記録によると1988年には台倉高山〜引馬峠には整備された道が通じていた。http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-346514.html )
 やっとこさで台倉高山山頂に達した。山頂を踏むのは今回で4回目(内1回は残雪期)。残念ながらガスっていて遠望は利かない。燧ケ岳と長須ケ玉山が展望できたが、山頂滞在20分の間に完全にガスに消えてしまった。山頂の山名標柱に→付きで引馬峠方面と記載されている。この標柱がいつ建てられたのか知らないが(白色の文字から判断するとそれほど遠い昔とは考え難い)、道筋が消えて久しいのに引馬峠への道があるような標示はおかしい。
県境尾根出合から台倉高山の間は計画に対し0.5時間遅れ都合2時間遅れ。(馬坂林道2号線の途中で暗くなること間違いなし。迷うような箇所はないので慌てる必要はない。焦ってバテてしまうのが最大の敵。

左: 標高1500付近 黒檜多い、笹薮断続 右: 標高1600付近の笹薮(もっと密な箇所あり)


左: 標高1770付近 コメツガ(大木)とシラビソ(幼木)笹薮薄くなる 右: 標高1820 笹薮消えて針葉樹の小籔


藪はなし 左: 標高1850付近 右: 県境尾根出合(1950級ピーク)


左: 1895北鞍部 1895から鞍部にかけて密な笹薮 右: 湿地(西の湿地帯の末端)


左: 引馬峠への道筋は薮化(右端の中央部が廃道入口の名残り みぎ: 廃道は完全に藪の中、色あせた赤布が中央に見える?


左: 台倉高山山頂部 右: 山頂から燧ケ岳(中央やや左奥)、右端は長須ケ玉山?
5 台倉高山 − 馬坂峠 − 林道歩き
 馬坂峠〜台倉高山の間は、無雪期い2回歩いているし、ネットで山行録をよく見るので詳細は述べない。最初は04年9月15日(ひとり山歩き166)、この頃は踏跡がある程度で、木道や木階段などはなく、三段田代などの標識もなかった。次に07年8月25日(ひとり山歩き290)に馬坂峠〜台倉高山〜引馬峠を歩いた時には、木道や木階段が整備されていた。三段田代の標識も付いていた。今回気づいたことは、07年当時よりも木階段が一層整備されたようであった。三段田代の意味がわかった。湿原(田代)が三つ続いているから、その真中の田代に三段田代の標識をつけたのだろう(乱暴な推測)。鹿の休場なる標識があったがこれは意味不明。
 今日は3リットル(内半分はスポーツドリンク)の水を持参したが、途中の水場で残り1リットルにつき、たっぷり飲んで0.5リットルをペットボトルに詰める(都合4リットルで駐車地に戻った時に1リットルの残り・・蛇足ながら)。馬坂峠には車が5台駐まっていた。台倉高山には登った人いない。今日はスタートからここまで人は言うにおよばずダニを含めた動物との遭遇は皆無で、完全この山域は借り切り状態。唯一の例外はアブで、こいつときたら全く嫌らしい。藪こぎになって両手が離せなくなると追いかけてきやがる。顔以外は露出していないので、刺される心配はないが、廻りでブンブンやられると気が散る。仕方なしに笹薮を手で揺するも逃げないから始末が悪い。笹薮から抜けるといつの間にかいなくなってしまうの繰り返し。
 馬坂林道2号線は6月19日(ひとり山歩き558)に歩いて登り、途中から軽トラに拾われた。今回はその間は完全に自分の足で補完。テントミータカさんは7月6日にこの林道を乗用車で下ったとのこと。大変難儀された様子。最初は勾配が大きくけっこうなスピードで下っていたが、途中から両足の親指付け根に肉刺ができてしまい。栃の葉橋からはグッとスピードが落ちてしまった。先を急ぐあまりに、台倉高山山頂で携帯で家に連絡するのを忘れ(通じるかは不明)、馬坂峠でも忘れてしまった。携帯が通じる場所(土呂部)では22時頃になってしまいそう。今日は泊りはないだろうと言ってきたので、かみさん心配しているかも。これだけが気がかり。
 19時頃に早めにヘデン点灯しトロトロと下ってゆく。馬坂林道2号線入口までに0.5時間遅れ都合2.5時間遅れ。ここからは舗装道の登り勾配となる。舗装道は約1.5kmで終了したが、ダート道は依然として緩い登りが続く。途中で下りとなるも最後に登りとなって、出発から18時間55分で駐車地の無砂谷橋に無事到着。計画に対して3時間の遅れ。体力不足の現時点では今日の計画は少し無理だったようだ。帰宅は翌日の1時、出発から帰宅まで三日がかりの日帰り山行となってしまった!?
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