ひとり山歩き47 : 私の山歩きの原点である日光連山に久しぶりに戻り、志津乗越から女峰山〜大真名子山まで縦走してきました。曇り空で眺望は望めませんでしたが、残雪の山歩きを充分楽しむことができました。
女峰山(2483.0)〜大真名子山(2375.4)縦走
2002年6月1日(土) 曇り
1 行程
自宅(1:40) − 志津乗越(3:40/3:50) − 馬立分岐(4:35/4:40) − 唐沢小屋(6:15) − 女峰山(6:55/7:15) − 帝釈山(7:45) − 富士見峠(8:30/8:40) − 小真名子山(9:35/9:40) − 鷹の巣(10:10) − 大真名子山(11:20/11:45) − 志津乗越(12:50/13:00) − 自宅(15:40)
2 自宅 − 志津乗越  2年目のスタートは山歩きの原点である日光連山へ  志津乗越までの道は良好
 前回は、山歩き1年を記念して庚申山ルートで皇海山に登った。今回は2年目のスタートとして、私の山歩きの出発点である日光連山に行くことにした。あわよくば女峰山〜真名子山〜男体山を縦走しようと計画する。男体山については、13時までに大真名子山から志津乗越に下りていることを条件とした。前回の皇海山同様に長丁場なので、早朝に家を出ることにした。 志津乗越へは、昨年8月24日に大真名子山・小真名子山登山で行っているので、道筋は良く知っていて安心。今回も、志津乗越の手前から多少は歩かねばと考えていた。志津林道のアスファルトが切れてからも、道は補修されていて何の困難もなく志津乗越に着いた。3時40分に乗越に着いた時には、土曜日とはいえ、車は一台も見当たらなかった。 
3 志津乗越 − 女峰山 − 帝釈山  気になっていた「馬の背わたり馬立から見る女峰山(中央のピーク)、帝釈山(左のピーク)」 一年の経験で痩尾根にも慣れた
 車を停めてすぐに馬立目指して出発したが、4時前とはいえ結構明るく懐中電灯は全く不要であった。途中も砂利を撒くなどして道はよく補修されていた。馬立への分岐を勘違いして、野州原林道を下り始めてすぐ気が付き引返す。これは暗さのためでなく、ウッカリミス。5分のロスで済んだが、今日は行程が長いので注意しよう!林道を進むと前方にこれから登る女峰山、左手に大真名子山が見えてくる。右手に、何かの無人観測小屋をみると2分で馬立分岐についた。思ったより早く馬立に着いた。
 馬立分岐からは、細い笹道を急降下してゆくと、5分で沢に出る。赤ペンキの目印をよく確かめて沢を渡る。沢を渡ると、2本の沢がV字型に流れ込んでいる。その真中、即ち右側の沢の右岸を進む。このあたりの標示はしっかりしているので、迷うことはないだろう。沢を渡ってからは、コメツガ疎林帯の中の笹道を急登することになる。時々、ダケカンバとピンクの花をつけたシャクナゲが目立つ。約1時間登ると、登りはなだらかになり、沢を渡る。沢を渡ってからは、岩と木の根っ子の道を急登する。苦闘すること15分で唐沢小屋にやっと到着する。あまりにも静かなので、無人なのか未だ寝入っているのか不明なので素通りする。
 唐沢小屋の前を左に回って女峰山を目指し、コメツガの樹林帯を急登する。ガレ場を注意して登りきると、樹林帯の急登に変わる。山頂も間もなくというところで、若者に追いつかれた。志津乗越を4時半にスタートしたとのこと。遠慮して後をついて来るので、先行してもらう。女峰山山頂に着くと、若者は両手を広げて喜びを表していた。女峰山から見る帝釈山
 女峰山山頂は、昨年7月の登頂時と一つを除いては全く変わっていなかった。あの時はトンボが多いのにはビックリした。今回は、時期が違うのでトンボは全く見かけなかった。残念ながらガスのため近隣の山しか見通せない。生憎のガスに残念がる若者と話をしてみる。埼玉の人で山歩き経験は丁度1年で、毎週のように山に出かけている。私と全く同じであった。意気が合ってしばらく山登り談義をする。久しぶりに若者と話をしたが、とても感じが良かった。
 もっと話をしたかったが、先が長いので帝釈山目指して出発する。足の速さが違うので若者に先行してもらう。岩稜の痩尾根を慎重に下っているうちに、姿が見えなくなってしまった。年齢の割には健脚と自負していたが、若者には全然太刀打ちできない。自分に合った山歩きを見失うな、と自戒する。この痩尾根では、ハイマツとシャクナゲを多く見かけた。日光三険のひとつ「馬の背わたり」もスムースに渡り終える。この痩尾根わたりは昨年の女峰山登頂後、ずっと気になっていた。これで日光三険はクリアした。一年前は、痩尾根になると足がすくんでしまったのに、それほど恐ろしいとは感じなくなった。痩尾根も終わり、コメツガとシャクナゲの中を急登すると帝釈山山頂だ。益々ガスが酷くなり近隣の山も山頂部は姿を消してしまった。山頂には標識以外なにもないので通過する。 
4 帝釈山 − 大真名子 − 志津乗越  思わぬ残雪で若干の遅れ  ガスで眺望は期待はずれ
  帝釈山からは、富士見峠目指してコメツガの樹林を下るだけ。楽な歩きができると思ったが、行程の半分くらいは道が雪で覆われていた。時々膝上まで足を踏み抜く。この雪は予定外であった。特に、道筋は窪んでいる上に針葉樹で覆われているので、雪が融け難いのであろう。若干予想タイムより遅れて富士見峠に到着する。富士見峠はチョ女峰山からの眺望 : 大真名子山(左) 小真名子山(中央) 奥白根山(最奥右)ットした広場、野州原林道終点の立杭を見かけた。前回の小真名子山くだりでは、ガレ場のルートを誤ってもっと馬立寄りに下ってしまったので始めてのポイントとなる。
 これから問題のガレ場登りである。昨年の小真名子山からの下りではガレ場地獄に陥り擦り傷だらけとなった。今日は何故間違えたのかジックリ調べよう。富士見峠から標識に従って樹林の中へ進むと、すぐにガレ場に着く。ルート確認のため見上げると、ガレ場中央部の岩にペンキで○印が幾つも目に付く。ガレ場の最上部付近を女峰山で出会った若者が登っているのが見えた。丹念に目印を拾いながら登ると、それほど危険を感じるガレ場ではない。ガレ場を30分ほど登ると、ガレ場沿いの潅木帯内の急登にかわる。途中で、志津乗越を5時半に出発したという同年配者と出会い、しばし情報交換する。結局、ガレ場は50分で無事通過した。ガレ場を見下ろし、昨年の下りで何故ルートを間違えたか検討する。昨年は、目印をよく確かめずに上部から見て潅木で仕切られたガレ場の右側に下りてしまったのが失敗の原因であった。中央部の潅木を目指して進むと、すんなりとルートに入れることが判明した。取り付きがいかに大切か脳裏に叩き込む。コメツガとシャクナゲの群落の中をひと登りすると電波反射板が現われた。生憎のガスで太郎山が見えるだけ。すぐ先の小真名子山山頂は樹林に囲まれ展望はない。小さな祠が淋しそうに座っているだけ。
 小真名子山からは、前方に大真名子山、その後に男体山を見ながら下り始める。針葉樹林帯を急降下すると、やがて倒木が目に付きだすと、鞍部の鷹の巣に着く。1982年の台風の傷跡らしい。
 鷹の巣からは、コメツガとオオシラビソ樹林の中の急登である。大真名子山山頂まで殆ど残雪の道であった。状況は帝釈山から富士見峠への下りと全く一緒である。登りだけ性質が悪く、思ったより時間が掛かってしまった。下ってくる何組かと出会ったが、思わぬ雪に悩まされいるようで、先の様子を尋ねられた。人の声が聞こえると、すぐに座王権現像が見えて大真名子山山頂にたどり着いた。山頂には三人組と単独行者が昼食をとっていた。今日は憑きに見放され、どこでもガスで充分な展望が得られない。小真名子山、太郎山がどうにかみえる。奥白根山方面は望めない。小山市から来た単独行者と話をしてみると、山登り経験2年とのことであった。またまた山の話が始まって、予定より長居してしまった。小真名子山方面の情報教えて、南北に分かれる。
 志津乗越目指して下り始めて5分も経たないうちに、鎖と梯子が現われる。ここが日光三険のひとつ「千鳥返し」であるが、別にどうというところではない。鎖と梯子がない頃に難儀したのであろうか。針葉樹林の岩の多い道を急降下している間に、4組のグループと出会うが、挨拶だけで先を急ぐ。下る途中で、三笠山神像と八海山神像を見かける。昨年登った時には、余裕がなかったのかいずれも見過ごしてしまった。昨年8月と最も異なっていたのは、志津乗越間近の背の高い笹が刈ってあったことである。昨年は露のついた笹でびしょぬれになり慌てて雨具を着用し、それを脱いだ後で道を間違えてしまったことなど、思い出しているうちに志津乗越に到着した。車はかなり多いだろうと予想していたが、中型バスの他に10台位、思ったより少ない。
 思わぬ残雪のため、予想時間より20分ほど遅れたが、男体山へ登るタイムリミットの13時前である。体力的にはまだ充分余裕がある。ガスは益々濃くなり男体山山頂は全く見えない。天気予報では、午後に雷雨の可能性も報じていたので、結局男体山登頂は諦めた。 
5 志津乗越 − 自宅  同乗者の山談義を楽しむ
 志津乗越に着いたのと殆ど同時に水戸市からの単独行者が男体山から下山してきた。中禅寺湖側から登り、志津乗越に下り、これから中宮祠まで帰るとのことである。方向が同じであり同乗を誘う。志津林道の途中で、光徳バス停を目指す単独行者にも同乗を誘う。車を運転しながら、お二人の山談義を聞かせていただく。楽しく有意義な話でとても参考になった。中宮祠と東武日光駅まで送って別れを惜しむ。
 途中で、少しばかり雨も降ってきたので、男体山は中止して良かったのかもしれない。
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