ひとり山歩き129 : 五丈の滝経由で岳ノ山に登り、尾根伝いに愛宕山へ行き、更に尾根を北上して、日本列島の中心点付近を経由して807ピーク(東蓬莱山)まで脚を延ばしました。下山は送電塔178号付近から南東尾根経由で氷室山神社に下りました。本ルートの大部分に踏跡が残っていましたが、展望は余りありませんでした。
岳ノ山から愛宕山そして日本列島中心点
2004年1月10日(土) 快晴
1 行程
自宅(5:40) = 五丈の滝駐車場(6:35/6:50) − 滝見の松(7:10) − 岳ノ山(8:05/8:15) − 林道切通(8:45/8:50) − 愛宕山(9:05/9:20) − 南東尾根分岐(禁猟区看板)(10:30) − 178号鉄塔(10:45/10:50) − 807ピーク:東蓬莱山(10:55/11:20) − 南東尾根分岐(禁猟区看板)(11:30) − 668ピーク(11:40) − 氷室山神社奥の院(12:10/12:15) − 葛生町氷室山神社(12:30/12:35) − 五丈の滝駐車場(13:10/1320) = 自宅(14:25)
2 自宅 − 五丈の滝駐車場  岳ノ山から愛宕山へ尾根伝いに、そして日本列島の中心点へ
 昨年の3月10日(ひとり山歩き83参照)に、不動岳・大鳥屋山・岳ノ山経由で愛宕山を目指したが、岳ノ山からの下りでルートミスで小戸口に下りてしまった。そのリベンジということで、岳ノ山から愛宕山を計画した。熊鷹山に登られた方は、ご存知と思うが山頂の大看板に日本列島の中心点がで記されている。そのが愛宕山の先に続く尾根上付近にあることを思い出して、日本列島の中心点付近に行ってみることにした。
 岳ノ山へは、葛生町宮原BSから入った五丈の滝駐車場をスタート点とすることにした。葛生大橋で国道293号から県道200号に進む。約12kmで宮原BS付近に五丈の滝1.7kmの案内板を見て左折する。600m進むと、林道分岐となる。その右手前の五丈の滝駐車場へ車を駐める(トイレあり)。 
3 駐車場 − 岳ノ山  途中のコンビニ袋には嫌気がさす  山頂からは男体岳ノ山から進行方向を望む山と奥白根山
 駐車場のすぐ先の分岐で五丈の滝まで1.1kmの看板を見て右に進む。数分で林道終点の広場に着く。ここの案内板の左から山道になる。途中には滝までの案内標識が親切に設置されている。広場から10分足らずで、観瀑台への分岐に達する。一昨年の2月7日(ひとり山歩き28)に観瀑台に行っているので、今回はパスする。分岐から5分で滝見の松に着く。ここから覗き込むと、滝の一部が見える。松が枯れてしまっているのが痛々しい。
 山腹を巻いて南西に進むと、すぐに沢の左岸を歩くようになる。徐々に西向に変えながら、沢を三回ほど渉り返す。ずっと杉植林が続くが、コンビニ袋の目印が嫌というほど目に付く。ビニル袋は山頂直下まで目に付いた。どんな気持ちで取り付けているものやら?こんな目印を付けねば山登りができないのなら、山登りを止るべきだ。他人が付けたテープ類は参考にはするが、自分ではテープ類の目印を付けたことはない。理由は次の二つ。@正しい目印のつけ方を知らない、A目印をつけないと戻れないような所には脚を踏み込まない。万一のこともあるかもしれないので、赤テープはいつも持参はしている。
 小岩のゴロゴロする所を登ると、狭い平坦地に炭焼き穴を見つける。ここからは勾配は更に急になり、向きを北西に変えてジグザグの登りとなる。炭焼き穴から約15分、高度にして150mほど登ると、尾根上に達する。この尾根を左(西)に進む。右手に男体山と赤薙山の上部が枝越しに見えると、すぐ先に石祠を見て岳ノ山の頂上に達する。
 山頂には石像と石祠が祀られている。前に来たときには、山名プレートがあったが今回は一枚も認められなかった。山頂の北側は樹木が切断されているので、男体山から奥白根山が望める。これから行く愛宕山とその先の尾根筋が奥白根山の手前に連なっている。 
4 岳ノ山 − 愛宕山  踏跡がずっと続く 愛宕山頂には吉宗時代の石碑愛宕山頂と石碑(裏側)
 岳ノ山から尾根筋を確認して、踏跡を辿ってコナラの尾根を北西に進む。緩やかに5分程下ると、これから先は急斜面となり進むべき尾根が見えない。昨年は真っ直ぐに進む踏跡を追って北西へ急斜面を下ってしまい、戻るのが大儀でそのまま小戸口に下りてしまった。今回は慎重に地形図を確認して、北北西に方向を定めて急斜面を立木でブレーキをかけながら下る。急斜面の薄い踏跡には赤テープがついていた。50mも下るとやっと尾根筋が見えてきた。急斜面を更に下ると、右植林となりやがて左右とも植林となるも急勾配は尚続く。497ピークあたりからやっと勾配は緩やかとなる。497ピークの下りで右前方に三角形の尾出山の頭と右下に秋山の街並みが瞬時見えた。
 497ピークの先に作原の小戸口からの踏跡(破線)が左後方(西南西)から合わせる。こんな所に踏跡が残っているということは結構通る人がいる証拠。この分岐から2分下ると、舗装した牛の原出原林道切通に飛び出す。林道の少し下のほうで焚き火をしていた林業関係者が、人が当然飛び出してきたのでビックリしたようだ。暖をとるよう勧められたが、礼を述べて先を急ぐ。
 切通の法面をよじ登り植林に入ると、踏跡が北北東の愛宕山に向かっている。桧植林には松が混ざったり、ブッシュに時々出合うが特別の障害物はない。勾配はゆるくノンビリと歩く。やや急勾配を登りきると愛宕山の山頂に到着。山頂部はブッシュ、植林、自然林に分かれている。ブッシュの領域に石碑が立っているだけで、三角点は発見できず、山名プレートも見つからなかった。石碑には享保13年(1728年、8代将軍吉宗の時代))と彫りこんであった。  
5 愛宕山 − 807ピーク(東蓬莱山)  踏跡はずっと続き、障害物もなく歩きやすい尾根 展望は殆どない
  愛宕山から北西に踏跡を追って下り、方向変換点の530ピークを目指す。最初は自然林でややブッシュが多い。左手に岳ノ山を見て桧植林になると、すぐに530ピークでここまで約10分で到達する。
 北向に変えて次の630ピークを目指す。植林と自然林が入り混ざり、左前方に熊鷹山から氷室山に連なる稜線、右手に高原山から不動岳に連なる稜線が確認できる。踏跡はずっと続いている。どうやら林業関係者の通り道のようで、踏跡の上には真新しいタバコの吸殻が三本捨ててあった。休憩を取ったあとらしい。愛宕山から30分で植林の630ピークに達する。
 630ピークからは植林の中の緩やかな登り勾配が続き、時々自然林が現れる。踏跡にはずっと赤テープが807ピークの先まで続いていた。これは林業関係者でなく、登山者がつけたものであろう。高度を上げてゆくと、赤テープの間隔が数十mピッチで付けてある。何故こんなに赤テープをつけるのかな、といつも不思議に思807Pう。標高700mあたりで空缶4個が道標代わり(?)に枯れ枝に取り付けてあった。極めて薄い踏跡が右に見えた。葛生町梅本集落に下る地形図の破線はこのあたりなのだがハッキリしない。復路にはこの破線は使うつもりはないが、一応頭に入れて前進する。少し登ると禁猟区の看板があり、尾根が南東に発生している。
 復路はこの尾根を下る予定で周辺の地形を頭に入れて向きを北西に変えて、すぐ上に見える送電鉄塔を目指す。この先は地形図には破線が氷室山までつながっているが、ここまで通ってきた尾根の踏跡と特に変わらない。東電の黄色杭を見ると、新栃木線178号鉄塔である。樹林に囲まれていて展望は全くない。期待はずれだ。
熊鷹山の看板によると、178号鉄塔の少しばかり南よりの斜面に日本列島の中心点がある。どのような根拠があるのか知らないが、ここは童心に帰って素直に信じよう。田沼町作原の蓬山ログビレッジに「日本列島中心の地」の石碑が建っているとも聞いた。
 5分程で落葉樹林の807ピーク(東蓬莱山という名称があることを後日知る)に到着した。三等三角点とその傍の立木にR.K氏のピーク標識をみた。山名でなく標高を記した標識は珍しい。山頂からは枝の隙間から男体山、槍先のような尾出山が確認できる程度。少しばかり西に進んで田沼町の上大戸からの破線を確認したが、落葉と枯れ枝に隠れてはいたが、かすかに踏跡らしいものが確認できた。北の氷室山へ向かう尾根には踏跡と赤テープが続いているのを確認して807ピークに戻る。 
6 下山  178号鉄塔付近から南東尾根を下る 氷室山神社奥の院を経由
 禁猟区看板のある尾根分岐まで往路を下る。地形図の破線と実線を辿って梅本集落に下る手もあるが、このルートは道がしっかりしていたとしても谷歩きで面白くない。尾根歩きは時には展望も楽しめるので、躊躇なしに南東に派生する尾根に進む。尾根に沿って赤テープと境界杭つきの薄い踏跡が続いている。大部分が植林の中で障害物もなく歩きやすい。尾根分岐から20分で668ピークを通過、更に20分で513ピークを通過する。
 このような尾根は長時間歩行後の下山には、負担が少なく楽でいい。このまま梅本集落まで続くものと、予想してノンビリ歩く。小ピーク(480m)に登ってゆくと、神社が突然現れた。境内氷室山神社奥の院に設置された「あそのあかべ」の看板(昔話の説明)によると、どうやら氷室山神社奥の院らしいことが判明した。氷室山神社というと、宝生山のすぐ傍の氷室山にある神社(ひとり山歩き35参照)とばかり思っていたので、解せなかった。
 奥の院からよく整備された参道を下ってゆくと、途中に案内板があり、やはり氷室山神社の奥の院であることが判明した。下には氷室山神社があることも分かった。先刻歩いた尾根に地形図で破線が記入されている理由が分かったような気がする。信仰厚かりし頃、氷室山までの参詣あるいは修行のルートだったのではなかろうか。現在は林業関係者やマイナーな山歩きの好きな人しか使わないので、踏跡が薄くなってしまったのであろう。こんな推測をしながら、参道を下ること20分で県道200号沿いの氷室山神社にたどり着いた。氷室山にある神社との関係を聞こうとしたが、残念ながら付近には誰もいなかった。地形図には神社記号はあるが、名称が記されていない。家に帰って地図で調べてみると氷室神社と記入されていた。
 県道200号を南下して、五丈の滝駐車場に帰る。秋山学寮と古代生活体験村が氷室山神社のすぐ近くあるのを知る。駐車場に戻ると、他に車が一台駐まっていた。岳ノ山へ登ったのかしら。
 今朝、この駐車場を出掛けに温度計を見たら氷点下2℃であったが、尾根上では3度前後で暑くも寒くもなしで、快適な尾根歩きができた。次の機会に脚を更に延ばして、今日の尾根伝いに氷室山まで行ってみよう。 
HOME  
inserted by FC2 system