ひとり山歩き135 : 最近は薮尾根歩きが多かったので、気分転換にハイキングコースの足利石尊山ー深高山ー仙人ケ岳を歩いてきました。天気はよかったのですが、春霞で遠望は期待はずれとなりました。
石尊山(486) − 深高山(506) − 仙人ケ岳(662)
2004年2月14日(土) 晴れ
1 行程
詳細ルートマップ (地形図: 足利北部1/25000、番場1/25000)
自宅(5:25) = 石尊不動尊(6:45/6:55) − 石尊神社(7:40/7:50) − 石尊山(7:55/8:00) − 深高山(8:25/8:35) − 猪子峠(9:05/9:10) − 511ピーク(10:00/10:10) − 561ピーク(11:10) − 熊の分岐(11:20) − 仙人ケ岳(11:40/12:15) − 熊の分岐12:30) − 生満不動尊(12:50/12:55) − 岩切登山口(13:20) − 石尊不動尊(14:00/14:10) = 自宅(15:35)
2 自宅 − 石尊不動尊
 最近は薮尾根歩きに徹したので、気分転換にハイキングコースに行って見ることにした。富士山を遠望する今シーズン最後のチャンスと足利の石尊山から深高山、猪子峠経由で仙人ケ岳まで歩いてみることにした。
 国道50号から小俣駅を経由して県道218号で小俣町の石尊不動尊を目指す。石尊下BSの手前に石尊山・深高山ハイキングコースの案内標識を見て、右折するとすぐ先が石尊不動尊で、境内に車を駐める。境内には5台分のスペースがあり、水道とトイレも利用できる。
3 石尊不動尊 − 石尊山 − 深高山  春霞で遠望利かず  信仰の山の名残があちこちに
 四丁目石のある登山口を後に、樹林帯を緩やかに北東に進む。道端に塩ビパイプで引いた水石尊神社  天狗と烏天狗(?)の面(右下)場を過ぎると、八丁目で石像が祀られている。10分も登ると女人禁制の石碑と十三丁目石を通過する。以後も何回か丁目石を見ながら登ってゆく。石尊信仰の盛んな土地柄であろうか。約20分で尾根に辿り付く。ここにはベンチが備えてあった。北に仙人ケ岳が枝越しに望める。
 この尾根に沿って東北東に登って行くのだが、道筋には松とツツジが多い。安蘇の山々を最近精力的に歩いたが、どこも松が目立った。足利の山も松が多いのであろうか。4月に登ればツツジが楽しめそう。左手に仙人ケ岳を枝越しに眺めながらの登りだが、露岩が多くよそ見はあまりできない。
 高度を上げると岩が益々多くなる。途中で屏風岩とか碁盤岩と名付けられた岩を通過する。この先は岩場で少しばかり登ると展望の開けた岩の上に出る。桐生付近の市街地が一望できる。【小俣第二小学校児童会作製のの立て札に「山姥の腰掛」と書いてあった。同児童会の立て札はあちこちで見ることになる。】
 28丁目石に迎えられて深高山の頂上石尊神社に達する。天狗と河童(と思われる)の面が神社正面にかけてある。天狗と河童(それともヒョットコ?)の組み合わせは何を意味するのであろうか。一昨年の12月13日来た時には、富士山を始め遠望を楽しめたのだが、今日は晴天なれど春霞で遠望は利かない。今シーズン最後の富士山を期待してきたのだが残念。神社のすぐ上は広場で見晴台を呼ばれるようだが、樹木が育ったせいかよい展望は得られない。西側に桐生、伊勢崎、太田あたりの市街地が見えるだけ。
 見晴台を石尊山頂と勘違いしてザックを降ろしたが間違いに気付き、石尊山に向けて松とコナラの雑木林を緩やかにアップダウンすると、10分で石尊山の山頂に達する。山頂には三角点と道標があるだけで展望はない。山名板は二枚ほど見かけたが、名前は記入してなかった。
 石尊山からは緩やかにアップダウンを繰り返しながら東に進む。湯殿山への分岐(崩落のため進入禁止)を右に見送り、487ピークを越してほんの僅か登ると深高山の山頂に着く。山頂には道標と祠を見る。前回見えた筑波山は霞みで全然見えなかった。
4 深高山 − 猪子峠 − 仙人ケ岳  展望のよい岩稜の尾根歩き 道標は整備され道筋は明瞭
 深高山からの下りは急でロープが用意されている。岩稜の尾根を下ると勾配は緩やかになり桧植林の歩きとなる。方向が東から南に変わる所に祠が祀ってあった。文化十○○(癸酉?)年と彫ってあった(1813年、徳川11代将軍家斉の時代)。【十一代将軍(在職1787〜1837)。寛政改革を断行した老中松平定信の退陣後、ゆるやかな文治政策のもとで、役人の賄賂の横行、治安の悪化など、社会問題が続出した。将軍引退後も、家斉は大御所として権勢をふるったが、彼自身、側室40人に子供を55人生ませるなど、政治の弛みは続いた。しかし、寛政以後停滞していた江戸文化は一気に爛熟化し、享楽的で退廃的な化政文化を生んだ】(千代田区江戸開府400年記念事業公式サイトより引用)祠の50m先の分岐で左の猪子峠へ向かう。二度ほど舗装道に沿って進み、分かれて北東に進むと東電の送電鉄塔145号を右に見て猪子峠に達する。峠で地形図を見ていると、5人の女性グループが西下(猪子トンネル)から賑やかに登ってきて、挨拶をしながら深高山へ向かった。仙人ケ岳後列左)と561ピーク(中列中央)  (511ピークから)
 猪子峠では建之年号不明の祠を右に見て登りにかかる。このあたりも松が多い。植林は時たま現れるだけ。428ピークを過ぎて振り返ると深高山が間近に見える。428ピークから登り返すと東尾根分岐である。右下には松田川ダムの一部が見え出す。向きを北西に変えて岩稜のヤセ尾根歩きとなる。右に赤雪山とその下に松田川ダムを見ながらの歩行は疲れを和らげてくれる。道筋は明瞭で地形図を見る必要はないのだが、薮尾根歩きの習性で無意識に地形図をを取り出しては一瞥をくれる。地形図に現れないアップダウンを繰り返すと、511ピークに着く。このピークはツツジに囲まれているが、左に深高山から石尊山、右に赤雪山、前に仙人ケ岳が枝越しではあるが楽しめる。
  511ピークから先も岩稜の尾根が続き、展望も楽しめる。今日は残念ながら春霞で遠望は利かない。松を配した岩稜尾根をアップダウンしながら進むと、数メートル高さの鎖場である犬帰しに達する。適当な凹凸もあり難しい岩ではない。過去に一度下りたことがあるので、巻き道はどうなっているかと通って見たのが大間違い!! 一旦下って登り返しはかなりハードである。鎖ならたったの一分で通過できるのに巻き道は数分の苦しみを味わう。急がば回れは常には真ならず(?)を実感する。
 犬帰しからは岩稜尾根が続くが登り勝手となる。二つほどピークを越すと右下が伐採地の鞍部を通過する。このすぐ上が561ピークで松田川ダムの展望がすばらしい。
 東尾根を辿れば松田川ダムに降りられそう。この尾根を含め仙人ケ岳周辺には魅力的な尾根が多い。今日はおとなしくハイキングコースを辿り仙人ケ岳へ向かう。仙人ケ岳を間近に見ながら登って行くと、左に生満不動尊への道を分ける熊の分岐に到着する。
 分岐の先で尾根が南西に派生している。枯木で入口をブロックしてあるが降りてみたい尾根である。相次いで三組5人とすれ違う。赤雪山からの尾根を合わせたところで、赤雪山から来た人と立ち話をしている間にも下山する人登る人が通り過ぎる。ほんの僅かで仙人ケ岳山頂に到着した。5人組が記念撮影して降るところであった。その他に山頂には3人休憩中であった。仙人ケ岳は人気の山なのだ、ということを実感する。山頂はちょっとした広場になっていて三角点と大きな山頂標識を見る。今日は赤城山も奥白根山も姿を現さない。山頂の西端に行ってみると、白葉峠への尾根に惹きつけられる。将来の楽しみができた!!
5 仙人ケ岳 − 岩切  単調な谷道で面白みに欠ける 
 往路を戻る途中にも3人の単独行者とすれ違う。熊の分岐からは西に急下降してハイキングコースコースを通ることにした。ロープを伝って50mほど急下降すると、沢沿いに多少蛇行するがほぼ南に谷を下る。谷筋は10分程降ると涸れ沢から沢に変わる。何度も沢を渉り返しながら、あるときは沢の中を歩ながら降りてゆく。思い出生満不動尊せないくらい丸木橋を渡る。時たま植林の中を歩くが殆どが自然林の中の谷筋で、両サイドに尾根が迫る。道筋は特に歩き難いということはない。
 マンガン採掘坑跡の小さな洞窟を幾つか見るようになると、生満不動尊に達する。不動尊は荒廃しているのではないが壁は全くない。正面に灯篭二基と不動尊の額がかかっていた。 不動尊から更に沢沿いに降ると、カタクリ群生地の小さな表示を見る。その先には林道が待ち受けていた。この林道は途中からアスファルト舗装となる。そのまま進むと県道218号名草坂西線の岩切橋に辿り付く。ここが岩切登山口で案内板がある。県道の東100mくらいの所に駐車場があるようで、10台位駐めてあった。
 岩切橋から石尊不動尊まで約4km舗装道を歩かねばならない。登山靴での舗装道歩きは少々堪えるが、平らな所になるとペースは俄然速くなる。4kmを40分で歩いて戻った。
 今日はハイキングコースであり、久しぶりに無傷で家に帰る。藪山ではいつも脛に引掻き傷を負うのだが・・・ 久しぶりに脛に傷をを持たない男になった?!
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