ひとり山歩き597 : 根利古道を追って砥沢集落跡を訪ねてきました。古道は大部分が藪化していますが、かなりの部分を歩くことができたと思います。砥沢集落跡では、往時を偲ぶことができました。
砥沢集落跡を訪ねて
2015年5月26日(火) 晴れ
1 行程
@コースタイム : 自宅(0:25) = 栗原川根利林道口(3:00) = 砥沢小屋(砥沢橋)(4:15/4:25) − 古道出合(5:05) − 大崩落地(古道消失)(5:40) − 六林沢に下りる(5:50) − 皇海荘(6:00/6:05) − 根利の郷記念碑(6:15/6:20) − 尾根取付き(6:30) − 1400級ピーク(7:30/7:35) − 八丁峠(7:45/7:50) − 栗原雨量観測所(栗原川根利林道出合)(8:20) − 皇海山登山口(皇海橋)(8:40/8:50) − 不動沢コル(10:50/10:55) − 鋸山(11:45/11:55) − 女山(三角点)(13:10) − 六林班峠(13:30/13:35) − 権兵衛原動所跡(14:35) − 二俣合流地点に下りる(15:05) − 砥沢小屋(15:50/16:10) = 栗原川根利林道口(17:10) = 自宅(19:30)
Aルートマップ
B写真集

2 自宅 − 栗原川根利林道の砥沢小屋  整備直後ということもあり栗原川根利林道は乗用車でも腹をこするようなことはなかった  皇海山に登る人には今がチャンス
 07年6月に@宇都宮さんが銀山平から六林班峠・砥沢集落跡・八丁峠・鋸山・銀山平と歩き、そのルートマップを弊掲示板に投稿してくださった。ついで08年5月にTNHCねくらハイカーさんが栗原川根利林道の砥沢小屋(砥沢橋)から@宇都宮さんと同じようなコースを歩き、HPに記録を残された。ご両人の山行を知って自分もと思ったが、@宇都宮さんのように銀山平スタートでは日帰りは無理。ねくらハイカーさんのように砥沢小屋スタートならなんとかなるかもしれないとは思っていた。でも、奥深い林道でタイヤをパンク(バーストに近い)させたことがトラウマになって深い林道には行く気が起こらなかった。
 頭のすみにはあったが、半分以上は諦めていた。5月21日づけの沼田市の皇海山情報によると栗原川林道(追貝側)と栗原川根利林道(根利側)とも通行可能となったことを知った。その後、ヤマレコに栗原川根利林道はそれほど悪路ではなく、乗用車でも特に問題ないことを知った。林道の整備が終わったばかりの今がチャンスと、数年前から準備してあった資料を引き出して好天の予想される本日決行することにした。コース取りはねくらハイカーさんに倣うことにして、念の為にスタッドレスタイヤを予備タイヤとして自動車に積み込んで家をでる。自宅から栗原川練林道口までは約95km、そこから18kmほどダート林道を走らせる。時速20km未満で走行している限りは乗用車でも腹をこすることは一度もなかった。路肩には除去した落石をかなり見かけた。梅雨どきを越すと落石も増える可能性があり、不動沢コースで皇海山や鋸山に登りたい人は今がチャンス。慎重な運転もあり、計画よりは15分ほど遅れて砥沢小屋(営林署管轄?)を左手に見て小屋前の広場に車を駐めて準備にかかる。
3 砥沢橋 − 砥沢集落跡 − 八丁峠 かなりの部分で古道と思しき踏跡を追う  砥沢集落跡で皇海荘(小屋)と根利の郷記念碑に感激
 砥沢小屋前の広場に駐車して、すぐ先の砥沢橋に向かう。前出の先人に倣って、橋手前から六林沢の左岸に下りて、暫くは水流の左岸を進む。20分ほど進んだ地点で左岸が歩きづらくなり、左岸の荒れた植林を進み古い伐採跡を過ぎると明瞭な踏跡に出合った。これが古道なのか、S55年(落ちていた小標識)に植林されている、その時の作業道なのかははっきりしない。古道を作業道として利用したと思いたい。この道筋は沢から数十メートル高いところを通っている。涸れ沢を2回渡り気持ちよく進んでゆくと右下が崩落した地点にはトラーロープが張ってあった。このロープはそれほど古いものではなく、林業関係者が取付けたように思われる。右下が切れ落ち地肌がザレて左手の岩壁がもろい大崩落地に達した。@宇都宮さんのマップにはその地点は危険マークで詳細は不明だが、高巻いたように思われる。ねくらハイカーさんに倣って少し戻って、植林の小尾根を樹木でブレークかけながら沢に下った


左: 砥沢小屋(営林署管轄?) 右: 砥沢橋(手前左から沢へ下りる)


左: 六林沢の左岸を進む 右: 橋から20分ほど進むと沢筋は通りづらくなったので、沢筋を離れる


左: 明瞭な踏跡に出合う(古道?それともS55年植林のための作業道?) 右: 右下が切れ落ちている箇所にロープ


左: 大崩落地(路面も岩壁ももろく、右下は切れ落ち・・・クワバラクワバラ) 右: 少し戻って、沢に下りる
 沢に下りてからは特に障害物はなく左岸を意識的(ねくらハイカーさんは右岸を進んで皇海荘に気づかず通りすぎてしまったので)に下ってゆくと、約10分で青色の皇海荘が目に入った。一般開放された小屋の内部を覗くと、今すぐにも生活できそなほど生活用品が揃っていた。小屋付近には往時を忍ばせる石垣も見受けられた。
 @宇都宮さんのマップによると標高点1168付近に根利の郷記念碑が記してある。その方向に数分進んだ小高い場所に上がってみると、献灯と石祠があり、付近には金属製表面がピカピカ、文字は消えかけの根利の郷記念碑が目にする。後面の文字は写真に写して家で判読しようとしたが、ピカピカ表面で反射してしまい、写り込んだ自分の姿ばかりが目について文字は判読できなかった。今日の目的のひとつをゲットして気分は絶好調(どこかの監督も選手時代のように最近はそう叫んでいるだろうな・・・そのうちに絶不調と叫ばねばよいが)。


左: 皇海荘(一般に開放、内部はすぐにも生活できそうにものがそろっている) 右: 往時を忍ばせる石垣・・・石垣上には何も残っていなかった


左: 根利の郷記念碑(文字は消えかかっているが金属製の記念碑表面はピカピカに輝いている) 右: 献灯と石祠(献灯の後方に)
 @宇都宮さんは、栗原川根利林道の雨竜観測所地点を八丁峠としているが、その後のねくらハイカーさんの記録によると、@宇都宮さんが北に幅広道不動沢への旧道?としるした地点の北西の鞍部が八丁峠ということが判明している。八丁峠に行くにはどこから取りつくべきか、少し悩んだすえに@宇都宮さんのルートを追って、前記の場所から北西に進むことにした。
 皇海荘まで戻って、六林沢を渡渉して対岸の尾根に取り付いた。この尾根筋は細尾根で急登、更にはザレた箇所もありで悪戦苦闘する。こんな尾根筋によくも植林できたものだと感心する。途中で踏跡が横断していたので、ひょっとしたら八丁峠へと淡い期待を持って左手に進むと、すぐ先が崩落地で短いトラロープがあり、そこから尾根上に復帰する。1400級ピークまで約200メートル登るのに丁度1時間要した。
 北西の八丁峠方面にはピンクテープのオンパレード、なんでこんな箇所に多数のテープが必要?これほどのテープを付けないと山行できない人がこんな場所にくるの?それとも治山関連者が何らかの理由で取付けた? ヤブのない尾根筋を下った鞍部の樹木に、ねくらハイカーさんの記録にある小標識(左ヤブ道 ←登山下り口)を見つけてここが八丁峠と判断する。ねくらハイカーさんが樹の根元に見た八丁峠の標識は目にすることがなかった。左の砥沢方面の踏跡は完全に消えてしまったが、反対側の不動沢方面には踏跡が残っている。更にはピンクリボンがまるで赤ちょうちん街のように取付けてある。
 八丁峠から西に尾根筋を僅かに登ってゆくと、なんでもない箇所にトラロープが設置してあった(林業関連?)。これを見て折り返して八丁峠、14400級ピークと戻り、標高点1424ピークを間違いかけて南側を巻いて通過した(@宇都宮さんのマップには小屋跡と記載あるが、気づかずに通過)。1424から北東に僅か進むと左下に林道があり、これを歩くとすぐ先で栗原川根利林道出合、そこには栗原雨量観測所が設置してある。
 念願の砥沢集落跡と八丁峠をゲットして今回の目的の大部分が達成できたので、このまま砥沢小屋まで戻って帰路につこうか、六林班峠から古道を下って権兵衛原動所跡を見るか、葛藤が始まる。ここまで来たのだからとりあえずは皇海橋の皇海山登山口を見ておこう。そこでどうするか考えよう、と思い林道を下って行く。20分で皇海山登山口に達した。皇海橋の手前には車が1台、橋の向う側(追貝側)には県外車が6台。平日でも7台とは、やはり皇海山は百名山なんだな。エネルギーを補給しながら、ねくらハイカーさんのコースタイムと比較。ねくらハイカーさんは八丁峠までに遠回りしているので一概に比較はできないが、所要時間はほぼ同じで約4時間半。ねくらハイカーさんはここから六林班峠経由で砥沢小屋まで約5時間半。自分は最近は栃百の低山歩きを自転車活用で短時間歩きしかしていないので、スタミナ切れをおこしても、充分に明るいうちに下山可能と判断して、エンルギーを補給しザックを担ぐ。

左: 1400級ピークから八丁峠方面にピンクテープ多数 右: 八丁峠の標識(左ヤブミ道、←砥沢下り口) 
4 皇海山登山口 − 鋸山 − 六林班峠  不動沢コースは初めて、難しくはないがガレの急登あり 鋸山からの下りになると、いつもの様に深い笹に悩まされる
 皇海橋から不動沢コルへの登りは初めてだが、HPやブログに多数掲載されているので詳述はしない。基本的にはカラマツ林を沢沿いに登ってゆく。道標多く道筋は明瞭。皇海山への中間点(標高1610)を過ぎるとカラマツから自然林となり険しさが増す。ガレ場を急登し、ロープ設置地帯になると不動沢コルはすぐ。コルでこの先のルートを再確認していると、皇海山から下山者が現れる、山頂からは展望もなく失望の様子。鋸山を推奨したが、そのまま下山していった。皇海山は栃木側(庚申山経由、松木川経由でも)からが数段面白いが、健脚でないと日帰りは難しい。止むを得ずに長い悪路の林道を走って不動沢コースを選ばざるをえないのであろう。話している間に三人が鋸山方面へと進んでいった。 

左: 皇海山登山口(根利側) 右: 道標「皇海山1.8km 登山口1.8km」(標高1630) カラマツ林の歩きが続く


左: 標高1710付近 ガレ歩き 右: 標高1800付近(不動沢コル直下)はロープ地帯が続く


左: 不動沢コル 右: コルからの鋸山
 不動沢コル〜鋸山〜六林班峠は過去に何度も歩いているので道筋は頭に入っている。いつものように鋸山で展望を楽しむ。でも、標高1900位からの下りになると、笹が深くなり一二度はルートを踏み外して復帰するのに苦労する。靴先のレーダー(感覚で)で笹下の踏跡をさぐりながら下る箇所が多い。脛のレーダーは感度が鈍く、何度も倒木にゴッツん。肝心要の目というレーダはいい加減で二度も登山道を外してしまい復帰に苦労する。踏跡まで戻れば良いのだが、藪を漕ぐのは大好きで戻る事はしない。いつの頃からかは知らないが、02年5月の頃に比べると、登山道脇には案内役のトラロープが増えている。どういうわけか、初めて歩いた時だけは刈払直後で全然苦労しなかったのだが、その後はめちゃくちゃ。百名山一筆書き・グレートトラバースの田中陽希さんも苦労したようだ。
 三角点ピークの女山からは多少は笹が浅くなるのだが、道筋ははっきりしない。庚申山荘分岐から少し南西に進んだ標識のある地点を六林班峠として、@宇都宮産のルートマップを見直す。

左: 鋸山から皇海山を望む 右: 六林班峠(庚申山荘分岐から南西にすぐ先
5 六林班峠 ー 権兵衛原動所跡 ー 砥沢小屋  どの程度古道をたどれたかは疑問  権兵衛原動所跡を見れてヨシとしよう
 六林班峠からは笹の被った窪んだ道筋を追う。踏跡が太くなったり細くなったりあるいは一時的に見失ったりで、本当の古道を歩いているのか疑心暗鬼。北西に下って行くと沢筋に突き当たり道筋を失う。沢の右岸斜面を適当に歩いていると、笹の下に踏跡が続いていたりする。@宇都宮さんのマップとは進行方向が合っているので、踏跡を失っても心配はしない。GPSに打ち込んでおいた権兵衛原動所跡が近づき、櫓の残骸が見えてその前は石組みで幅広の道筋が通っていた。櫓の傍には角材が放置してあった。原動所が廃止にになったのは自分が生まれる一年前(注: HP山の街桐生の思い出の六林班峠 http://akanekopn.web.fc2.com/kesamaru/lokulinpan.html による)で、その時の角材が腐らずに残っているとは驚き。ねくらハイカーさんが見た記念碑は事前にインプットしてなかったので見損なう。
 原動所前の幅広の道筋は、すぐに笹で消えて、またしても笹藪こぎ、するといつの間にか足元に踏跡らしき筋が付いている。右手には標高1428ピークを見ながらの歩き。古道付近を歩いているような感じたが、@宇都宮さんのマップでは自分のルートよりももう少し北側を進んでいるようだ。当記録に何度も出てくる両人に比べて緻密さがないので、もうどうでもいいやと尾根筋を下って沢合流地点に下りた。家に帰って調べると、ねくらハイカーさんもここに下りたようだ。緻密さの違いは、ネクラハイカーさんは途中で道筋を見つけているが、自分は委細構わず沢の低い笹以外には障害物もないので、そのまま沢筋を下って、ロクリンさわ3号堰堤を右岸から越してその先は作業道を利用してくだると、すぐに砥沢橋に出合い、砥沢小屋に戻る。
 六林班峠から砥沢橋までどの程度古道をたどれたか疑問ではあるが、なんとか権兵衛原動所跡を見ることができて満足。ねくらハイカーさんの約10時間に対して11.5時間予想以上の善戦だ。次は年一の松山登山ならぬ訪問。その次は、栃百の結びの一番、燕巣山へ栃木側から挑戦。梅雨前には片付けたいが、はたして・・・

左: 古道のスタート 笹が被っている 右: こんな明瞭な箇所も(六林班峠の北西標高1710付近)


権兵衛原動所跡 左: 櫓の名残 右: 地面に横たわる角材




左: 標高点1848ピーク(砥沢富士・・・ねくらハイカーさんのHPから) (権兵衛のにし、1848の真南地点から) 右: シロヤシオが咲いていた(標高1620) (鋸山の南ではシャクナゲが咲いていた)


左: 沢合流地点に下りる 右: 以降は主として右岸を歩く、特に障害物なし
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