ひとり山歩き465 : 小袖乗越から雲取山をピストンして来ました。よく踏まれたトレイルが連続し、足が沈むことはありませんでした。
小袖から雲取山(2071)
2012年1月30日(月) 晴れ
1 行程   写真
ルートマップ(GPS)   ウォッちず : 雲取山  小袖乗越
自宅(1:35) = 小袖乗越駐車場(5:20/5:35) − 登山口(5:40) − 堂所(7:30) − ブナ坂(8:20/8:35) − 七ツ石小屋分岐(上)(9:10) − ブナ坂(9:25) − 奥多摩小屋(10:20/10:30) − 小雲取山(11:15) − 雲取山(11:40/12:15) − ブナ坂(13:15) − ブナ坂/七ツ石小屋分岐(上)(13:35) − 七ツ石小屋(13:55) − 登山道合流(14:15) − 堂所(14:30) − 小袖分岐(15:20) − 小袖登山口(15:25/15:35) − 小袖乗越駐車場(15:45/16:05) = 自宅(19:45)

2 自宅 − 小袖乗越
 最近のヤマレコに小袖乗越から雲取山ピストンの記録を多数見かけた。積雪は多からず少なからず、しかもよく踏まれたトレイルが続いているようである。山歩きを始めた01年の10月24日に小袖から雲取山をピストンしているが、その時の記憶はほとんどない。厳寒期に同じルートを辿ってみることにした。天気次第だが特に難しい山でもないので、ひとつの目的をもって出かけることにした。冬山では保温力のある手袋を着用するので、写真撮影等の操作時に手袋のアウターを外さねばならない。そうするとしばらくは指先がしびれて我慢しがたい。残雪期に用いる手袋なら棒状の治具でシャッター操作ができそうである。これを試してみることにした。
 2001年に山歩きを始めたころは未だ体力があり自己流で我武者羅に登っていた。その時の行程時間はあまり参考にはならないが、体力の衰えと厳寒積雪を考慮して9ないし10時間を見積もった。多少の想定外のことがあっても、明るいうち(17時)に下山できるよう見計らって家を出る。国道4号から16号そして411号へと乗り継ぐのだが、16号の交通信号の多さと411号の奥多摩湖沿いになると30km/h制限には辟易。道端にわずかに除雪塊があるが道路には圧雪がなかったのが幸い。小袖川を渡って東京都から山梨県に入るとすぐ先で小袖乗越への進入路となる。ここから進入すると途中で切り返しが大変という記録を見ていたので、すぐ先の駐車場に車を駐めてトイレを済まし、登山靴とスパッツを着用する。小袖乗越へは駐車場正面の消防団車庫の左隣りのトイレの先から進入すると切り替えしをせずに林道を進むことができる。林道は除雪してあり圧雪部もスタッドレスタイヤなら特に問題ない。鴨沢駐車場から約2kmで道路の左手に一台駐車していたので小袖乗越駐車場と推測し、降りて様子を見る。入口部は圧雪状態になっているので安心して駐車場に進入した。

3 往路   登山者は多いようでトレイルは踏み固まっている 踝まで沈んだのは一二度、靴跡が残るだけ富士山と大菩薩嶺(右) (ブナ坂付近から)
 駐車地から舗装林道を約300メートル北進すると小袖乗越登山口でうっすらと圧雪状態となっている。よく踏まれたトレイルは尾根の右(東)手に続き、所々で地肌が現れるがほぼ圧雪トレイルは連続している。トレイル内は適度に靴跡で荒れているので滑ることもなく歩きやすい。右下に小袖集落の明かりを見ながら進んで行くうちに明るくなり消灯する。特に危険個所はなく、一定の勾配が続くので足腰への負担は少ない。標高1150を過ぎると圧雪トレイルは連続となるが、よく踏まれていて靴の沈みは皆無で靴跡が残るだけ。まるで雪の舗装道路を歩いている感じである。標高1250で尾根の右手から尾根上に出る地点が堂所で標識があるだけ。
 堂所からは尾根上、尾根の左手そして再び尾根上の歩きとなり、積雪は深くなってはいるのだが、相変わらず圧雪トレイルが続く。アイゼンの必要性は感じないが高度が上がるにつれてアイゼン痕は増えている。アイゼン歩きがあるから雪面が適度に荒れてアイスバーン状になるのを防いでいるのかもしれない。肝心の残雪期用手袋(インナー+アウター+ミトン)ではミトンを外せばボールペンの先端でシャッター操作ができることが判明した。しかし残雪期用手袋では防寒性が小さく、指先のしびれは連続で時々立ち止まって、手袋をはめたままマッサージしてもあまり効果はなかった。こんなことを続けていたら凍傷にもなりかねないので、ブナ坂分岐でザックにひそませておいた厳寒期用手袋に交換し、併せて軽アイゼンを装着した。アイゼンは今までのところ必要性は感じないが、ザックを開いたついでに着用した。
 この分岐で七ツ石小屋経由よりもトレイルのしっかりした下の巻き道を通ることにした。落石注意の小標識を見たが、特にそのような場所は感じなかった。七ツ石小屋分岐を過ぎると、ブナ林の平坦なトレイルが続き、富士山が見え隠れするようになった。巻き終わって主稜線(石尾根)の鞍部がブナ坂(ブナダワ)となる。右に行けば七ツ石山だが、踏跡はついていなかった。左の雲取山へは相変わらず圧雪トレイルが続く。この先は左手の樹木が疎らで富士山と大菩薩嶺方面が展望できるようになる。今日は晴天で風がほとんどなく、頬が冷たく感じるが目出し帽をかぶる必要性はなかった。ボトルホルダー内のポカリスウェットがシャーベット状になっているから気温は低いのだろうが、風がないので寒いという感じはない。肝心の指先は厳寒期用手袋に交換後指しびれは少なくなったが、完全になくなることはなかった。ヘリポートを過ぎると奥多摩小屋でベンチを利用してエネルギーを補給する。
 ヨモギの頭(1813)の右下を巻いて通過すると、小雲取山への登りとなる。指先のしびれも相変わらずで凍傷を心配して手袋の上からマッサージを何度も繰り返しながらの歩きで歩行速度が上がらず嫌気がさしてきた。ブナ坂分岐の手前で追い越していった人が戻ってきて、先の様子を教えてくれた。気をとり直し小雲取山で息を整えて、雲取山へ向かう。残りは先が見えているが足取りは遅い。最後に急登して避難小屋にザックを置いて100メートルほど先の雲取山頂に向かう。山頂からは樹木で一部邪魔されるが、全展望に近い。富士山、大菩薩嶺、南ア、北ア、丹沢等が楽しめる。避難小屋に戻ると四人がベンチで憩っていた。ベンチ横の寒暖計(今時はこんな言葉は死語?)がマイナス5度を示していた。他の記録にもマイナス5度とあった点から判断すると故障しているのかもしれない。
雲取山からの展望


4 下山  平日でも登山者は多い
 午後になると気温が上がり風がないので、厳寒期の山とは思えないくらい快適。いつの間にか指先のしびれは写真撮影後でも感じなくなった。それどころか堂所を過ぎるころにはインナー手袋が汗でべとつくほど。ブナ坂までに十人位(単独行と二人組)とすれ違う。平日で好天とはいえ、これほど多くの人に出合うとは思ってもいなかった。土日には団体も入るのでさぞ賑やかなのだろう。
 往路をそのまま辿るのは面白くないので、七ツ石小屋経由のルートを選んだ。こちら側は下の巻き道に比べたらアップダウンありで、通行者は少ないようでる。七ツ石小屋から下ってゆくとトレイルは二つに分かれる。右に行くとすぐ先がブナ坂分岐だが、ここでは左のトレイル(地形図に破線記載なし)を下ってゆく。ブナ坂分岐よりも300メートルほど先で正規のルートに復帰。堂所で単独行の外国人とすれ違う。日本人にはまねのできないような軽装である。子供のころ銀座あたりを真冬に半袖で闊歩する外国人を見ていたので、この程度の軽装でもあまり驚きはなかった。
 小袖へ下る破線はどこかなと思いながら歩いていると、山頂で出逢った夫婦に追い越された。どこまでついてゆけるかと急ぎ足で後を追う。途中で二人を追い越す羽目になる。一度着いた加速はとどまらず小走りに下ってゆく。最近は歳のせいで歩き方が遅くなったと思っていたが、まだ基礎体力は残っているのがわかった。標高860(地形図の小袖の袖の左)で「小袖」の小さな標識が目に入った。踏跡はないが道筋は幾分へこんでいるので、これを辿ってみることにした。ジグザグに5分ほど下ると小袖集落の舗装道に下山できた。「雲取山、七ツ石山」の道標があったので、ここが小袖登山口なのだろう。
 軽アイゼンを外して舗装道を1kmほど下ってゆくと、小袖乗越登山口で先刻の夫婦がアイゼンを外していた。駐車場に戻ると車は自分の車の他に5台、途中でであった人の数からすると少ないようである。電車とバスをつないでくる人も多いのだろう。

5 小袖乗越 − 自宅
 国道16号の渋滞を嫌って青梅ICから桶川北本ICまで約30kmを圏央道に乗ってみた。東北道につながっていないので鶴ケ島JCTを過ぎると通行車は少ない。帰路は5時間近く要すると思っていたが、3時間40分で帰宅できた。H26年に東北道につながれば奥多摩や秩父の山も近くなりそう。 
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