ひとり山歩き445 : 秩父山地の和名倉山に山梨側の三ノ瀬からピストンしてきました。登山道はごく一部に不明瞭な個所はありますが、特に危険個所もなく迷うことはないでしょう。途中で富士山をはじめとして周辺の山々が楽しめました。
和名倉山(白石山、2036)
2011年7月23日(土) 晴れ
1 行程   写真
ルートマップ(GPS)   ウォッちず : 和名倉山(白石山)  三ノ瀬登山口
自宅(0:10) = 三ノ瀬登山口(4:15/4:25) − 牛王院下分岐(4:55) − 牛王院平(6:10) − 山の神土(6:15/6:20) − 東仙波(7:50/7:55) − 八百平(8:50/8:55) − 川又分岐(9:10) − 二瀬分岐(9:30) − 和名倉山(9:50/10:10) − 二瀬分岐(10:25) − 川又分岐(10:45) − 八百平(10:35) − 東仙波(11:45/11:50) − 山の神土(13:05/13:10) − 将監峠(13:25) − 将監小屋(13:30) − 登山口(14:40/14:55) = 自宅(20:25)

2 自宅 − 三ノ瀬
 和名倉山(白石山)を知ったのは、つい最近のことである。この山のある秩父山地は、自宅からは交通の便が悪く北アルプスへ行くよりも時間を要するので、何年も前に大菩薩嶺に行ったきりで見向きもしなかった。5月頃にヤマレコに和名倉山の記録を多く見かけて知ったわけである。登山ルートは基本的には、山梨側の三ノ瀬からと埼玉側の秩父湖から二瀬尾根を進む二通りである。登山道が明瞭でなく、藪漕ぎもある後者の方が魅力的ではある。いずれにしても標高が2000メートル程度で、今の暑い時期には意欲がわかなかった。11日の空木岳以後、踵骨滑液包炎(アキレス腱と踵骨の接続部の滑液の入った袋に炎症)で歩くのも容易でなかった。患部を冷やし続けた結果、痛みも引いたので山へ行ってみる気になった。8月の北アルプスの前哨戦として、比較容易である山梨側から和名倉山に登ってみることにした。
 2001年に大菩薩嶺に登るために上日川峠まで行くのに4時間強を要したので、今回も同程度は要するのは必至。できるだけ涼しいうちに高度をっ稼いでおくには明るくなる4時過ぎには、歩き始めることにして家を零時過ぎに出る。国道4号から16号そして411号へとカーナビは案内してくれた。R4は市街地を通らないので、スムースだが、R16は市街地を何度も通過して、早朝(深夜)なのに信号にひっかかる。R411号はカーブが多く制限30km/hの場所も多く、思ったよりも時間がかかってしまった。距離的には約180kmで約4時間、前回の空木岳は距離330kmだが高速度を利用で4時間弱。高速道をうまく利用できないのだからしょうがない。R411から分かれて三ノ瀬登山口までは6km、すぐに登山口はわかった。登山口の看板に民宿みはらしは50メートル先とあったので、その駐車場に車を駐めてすぐに出発する。

3 和名倉山往路(牛王院平経由) 前半に高度を稼いで、後半は緩いアップダウン 道筋は明瞭  途中で富士山をはじめ周辺の山々を楽しむ
 登山口(将監登山道入口)に入る頃には計画通りで照明なしで歩けるようになっていた。30分ほど歩くと、左に登山道が分かれている。この分岐が牛王院下で山ノ神土は左の登山道へ進む。登山道はカラマツ林の中を通っている。道筋には腰ないし背丈の笹が生えているが、はみ出しはなく快適に歩ける。登山道は基本的に尾根上にあり、時にはカラマツが広葉樹に変わる。登山道は歩きやすいが、勾配は比較的きつい。途中で地形図にない踏跡を二回、そして地形図の破線を一回横断しながら高度を上げてゆく。標高1880を越して勾配が緩富士山と大菩薩嶺 (東仙波付近から)み、鹿侵入防止ネットの網戸を三回くぐると牛王院平で道標を見る。ネット内はカラマツ林で林床は低い笹で、このあたりが牛王院平で雰囲気が良い。ここまでに登山口と和名倉山の標高差750メートルのうち600メートルを登ってしまった計算になる。疲れの出ないうちに大部分を稼いでしまったので、この先は楽ができるだろうと息をつく。
 古ぼけた道標に張り付けた表示に従って、唐松尾山方面に向かう。5分ほどで山ノ神土で四差路になっている。ここからは東仙波・白石山方面に向かう。登山道は狭まり、コメツガ林の林床である笹が登山道にはみ出しているのでスパッツを着用した。緩やかなアップダウンを繰り返しながら尾根の右手を巻きながら進む。尾根の鞍部が近づくと後方に大菩薩嶺と富士山が見え隠れするようになる。尾根上に駐どり着いた場所が鞍部で、その先の小ピークからは尾根の左手を巻くようになり、露を含んだ笹がなくなりホッとする。今までのところ心配した左踵は何ともないが、このところかばい歩きをしていたせいか右腰に幾分の痛みが感じられる。腰を痛めたことがないので、多少の不安はあったが、歩いているうちに腰痛は消えてしまいヤレヤレである。1974ピーク(リンノ峰)は巻いて通過してしまった。地形図の破線はほとんど標高差がないが、実際には小さなアップダウンの連続である。西仙波(1983)への登りになるとシャクナゲが出現するが、登山道は確保されているので藪をこぐことはない。方向が変わり下り始める地点を西仙波とした。この先が今日の最高の展望スポットの岩稜となる。北(前方)に和名倉山、両神山、南東(右)に雲取山、後方(南)に富士山、大菩薩嶺、西(右手)甲武信山がうかがえる。岩稜の先が東仙波(2003)で、ここで富士山は見納めとなる。
 東仙波からは方向を北に変えて下る。鞍部はダケカンバ疎林で左右の展望が楽しめる。先の小ピークを越すと、シャクナゲがあらわれたり、古いワイヤーが放置してある(和名倉山頂まで、多数見かける)。過去に大伐採が行われたのであろう。ウィキペディアによると1950〜60年代にかけて皆伐と山火事があったらしいが、その時の放置ワイヤー(さび具合から見ると、そんなには時が過ぎていないように見えるのだが)?? 標高点1990ピーク(吹上の頭)も左手を巻いて通過してしまう。次の標高点1965は確認できた。起伏を繰り返しながら下ると、古い切り株が目立つ小広場に達する。標識はないが、ここを八百平というらしい(山と高原地図25、2001年版による)。ここで軽くエネルギーを補給する。今日は暑くなると判断して3リットルの水を担いできたが、思ったよりは涼しくここまで0・5リットルも飲んでいない。よいほうに当てが外れたようである。
 八百平からさらに下ってゆくと、登山道は枯れ枝で覆われて判別しにくくなる。テープや古ワイヤーを追えばよい。鞍部からは道筋も明瞭となり、シラビソ林を登ってゆくと、川又分岐に達する。左へと踏跡は分かれるが、ここはまっすぐに進む。川又分岐を過ぎると勾配はきつくなり、けもの道が、登山道から何本も右手にそれている、近道の誘惑に負けずに登山道を追うと、二瀬分岐の道標を見る。道標には25分と書いてある。付近には「ロストしたら尾根に上がれ、沢に下るな」と「家族に伝えたか」の注意書きが立ち木に貼ってある。過去に遭難事故があったのであろう。道標に従って、東に進路をとる。明瞭な登山道をわずかに下った地点に、古い切り株が多数残る伐採地に達する。切り株に千代蔵の休場と小さな標識を見る。ここからは緩やかな登りとなり、東から北東に転じて針葉樹の密林に入ると、古い倒木(放置の伐採材?)が多くなる。倒木を乗り越えて進むと、三角点と多数の山名板が目につく。ここが和名倉山の山頂で、思ったよりもあっけなく着いてしまった。踵は全然痛みを感じなく、いつの間にか腰痛も治ってっしまった。

和名倉山途中(東仙波)からの展望


4 復路(将監峠経由)  踵の痛みも再発せず、まずはめでたし  初めてトレイランを見かける
 和名倉山と山ノ神土間は標高が小さいので、復路でもあまり時間を稼ぐことは期待できない。今日は踵の痛みが再発せねばよい。東仙波手前で若い単独行者とすれ違う。時間的に見て、今日はもうすれ違うことはないだろうと思っていたが、12時半頃リンノ峰の巻き道でトレイルランの若い4人(男性2、女性2)組とすれ違う。どこまでいったかな。復路でも富士山が何度も楽しめた。
 山の神土で地形図を確認しながらルートを考える。将監小屋から5kmほど林道を下るのが嫌らしいが、往路と同じ道筋を下るのも癪に障る。このあたりには二度と来ることないであろうから、将監峠、将監小屋を見ておくことにした。山ノ神土から将監峠へは緩く下り、風が爽やかで気持ちよく歩けた。峠から将監小屋方面は、防火帯なのか、スキ場のゲレンデのようである。将監小屋からはダートの林道で、緩やかに下ってゆく。疲れた足には登山靴での林道歩きは堪える。踵には優しくないが、これしきで再発すれば今夏の北アはあきらめだ。牛王院下分岐からは勾配は大きくなり、ペースが上がる。登山口から50メートルほど舗装道を歩き、民宿みはらしで駐車料金500円を支払い、合わせて冷たい缶入りサイダーを飲んで至福の時を迎える。

5 帰路
 R411の道の駅たばやまで温泉に浸かって帰路に着く。R411はノロノロ運転の車で時間を要する。R16市街地の混雑を嫌って、県道を利用するも運転時間は約5時間。今日は山歩きと登山口への往復時間がほぼ同じ。高速道の利用できない遠隔地には行きたくなくなってっしまう!!
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