ひとり山歩き42 : 塔の沢口から袈裟丸山へ登ってきました。ゴールデンウィーク最終日と快晴が重なり、登山者で大変な賑わいでした。賽の河原から小丸山辺りのアカヤシオを楽しむことができました。
袈裟丸山登山
2002年5月6日(月) 快晴
1行程
自宅(3:10) −塔の沢口(5:00/5:10) − 寝釈迦(5:55/6:10) − 賽の河原(6:55/7:05) −小丸山(7:50) − 前袈裟丸山(8:45/9:10) −後袈裟丸山(9:35/9:45) − 前袈裟丸山(10:05) − 小丸山(10:45/10:50) − 賽の河原(11:20) − 寝釈迦(11:50) − 塔の沢口(12:20/12:35) − 自宅(14:40)
2 自宅 − 塔の沢口  日光経由でR122号を走る
 インターネットで調べてみると、袈裟丸山のアカヤシオは5月中旬が良いとある。都合により中旬には行けないので、早めに行くことにする。ゴールデンウィークが終わると天候が崩れるらしいので、連休最終日の今日行くことにした。
 鹿沼から粕尾峠を越えて足尾に抜けるのが最短であるが、この道は久しく走ってないので、安全優先で鹿沼・今市・日光清滝経由でR122号で沢入へ行く。沢入で寝釈迦の案内標識を見て、林道へ入る。林道を約2km走ると、分岐点があるのでここを右に約1km進むと塔の沢口である。駐車場に着いた時には1台しか停まっていなかった。
3 塔の沢口 − 小丸山  寝釈迦前袈裟丸山(左)と後袈裟丸山(右) (賽の河原付近から)に昔の人の信仰心を知る  アカヤシオが美寝釈迦しく開花
 塔の沢口からは、沢を右に見ながらコンクリート道歩きでスタートする。数分で沢を渡ると、ここからは山道になる。寝釈迦までは、殆どが雑木林の中を沢沿いに、岩の多い道を登ることになる。時々、巨大な石垣状の岩が姿を現す。何度か沢を渡り返し急斜面を登ってゆくと、寝釈迦に達する。
 寝釈迦は大きな岩の上にあり、階段で一番上に登ると、その姿を現す。像が大きい(縦4m、横1.8m)のと場所が狭いので、全体像を写真に収めるのがヤット。このような所に釈迦像を造るなんて昔の人は信仰心が強かったのだと感心する。現在では商売が成り立たない限り考えられない。岩の上から、対岸を見ると相輪塔と呼ばれる自然岩の岩塔が目に入る。説明板によると13m高さで3m幅とある。思いのほか写真撮影に時間がかかってしまった。
 更に、雑木林の沢沿いの道を登ってゆく。段々と笹と樹木の若葉が目に付いてくる。松の木が増え、丸太の階段状の道を登ると、避難小屋に至る。新旧の避難小屋とトイレの横を通り抜けると、アカヤシオが目立つようになる。経験がないので判らないが、最近の山歩きから類推すると、ヤシオツツジは一斉に開花するのではないようだ。そんなことを考えながら登っていると、前方にチラッと人の後姿が見えた。その辺りが、賽の河原であった。
 賽の河原に着いてみると、誰もいなかった。先ほどは、先行者がちょうど出発するところを見かけたようだ。石地蔵と数多くの石積が見られ、一種独特な雰囲気を醸し出している。前方には樹木の上に、前袈裟丸山が頭を出している。賽の河原から北へ進むとすぐアカヤシオの花が賑やかになってくる。少ない経験のなかで、これだけ開花しているのを見たのは初めて。今日は来てよかったの実感。更には、前袈裟を始めとした袈裟丸山連峰の各峰が良く見える。全峰は無理として後袈裟までは行ってみたいものだ。向きを北からやや北西に変えて尾根道を進むと、まさにツツジの林の中。やがて、皇海山や男体山がちらちら見えるようになる。左手が開けて、赤城山の全容を捕らえることもできた。笹薮の中を登りつめると小丸山に着く。
4 小丸山 −前袈裟丸山  日光連山から赤城山までの展望が素晴らしい袈裟丸山連峰(左から後袈裟、中袈裟、奥袈裟(小丸山から)
  小丸山で景色を見ながら休憩しようとしたら前袈裟から下ってくる人に遭う。話を聞くと折場口から登ったとのこと。後袈裟にはすでに登っているが、前袈裟を踏み残しているので登ってきたとのことであった。様子を聞いて分かれる。皇海山、奥白根山、男体山、袈裟連峰等見えるが、景色は帰りに楽しむことにして、前袈裟に向かう。
 小丸山から笹道を下ってゆくと、白樺の多いチョットした広場の鞍部に達する。そこには黄色のかまぼこ型の避難小屋がある。ここでトイレを借りて先へ進む。
 ニョロニョロとした白樺林の笹道を急登していると右に皇海山、奥白根山、男体山が見える。奥白根山はまだ雪をかなり残しているが、皇海山と男体山は通常の姿に戻っている。なだらかな笹道が続くとここから、前袈裟への登りとなる。賽の河原で後姿を見かけた二人組みに、1時間半後にやっと追いつく。木の根っことロープに掴まりながら登っていると、大きなザックを背負った二人組が下りて来た。前袈裟と後袈裟とのコルの状況を聞いて分かれる。まさか、帰り道この二人をピックアップすることになるとは夢にも思わなかった。喘ぎながらこの急登を越すと緩やかな笹の斜面になり赤城山が間近に見える。山頂では樹林で見えないといけないので、慌ててカメラを取り出し写真を撮る。
 前袈裟山頂に着いてみると、同年配者が休憩していた。続いて先ほど追い越した二人組も登ってきた。折場口から来た先着者はこの辺りに詳しいようで、山頂の北側に案内してくれて、山の名前を教えてくれた。男体山、奥白根山至仏山武尊山、谷川岳は自分でも同定できたが、その他の名前も教えてくれたが、残念ながら覚えきれなかった。
5 前袈裟 −後袈裟  八反張コルが荒れていて危険  前袈裟からコルまではシャクナゲ群生
 八反張コルが風化しているので、通行禁止の看板が山頂に設置されていたが、後袈裟に荷物をデポした4人組がやってきた。どうやら禁止にはなっているが通行する人は多いようである。行ってもよいのか逡巡していると、他の3人も行きそうなので、危なければ途中で戻ると決めて出発した。
 前袈裟からの下り道は、シャクナゲのトンネルの中を歩いていると錯覚するほど群生していた。シャクナゲの群生が切れるとそこが八反張コールである。確かに荒れている。鎖の取り付け杭はすべてが歯槽膿漏のようにグラグラである。注意すればなんとかなると意を決して渡る。コルからは急な笹道をひと登りで山頂に達する。
 後袈裟山頂のせまいところに5人もいた。山頂は樹林に囲まれていて充分な眺望は得られないが、男体山、武尊山、赤城山が何とか見れた。振り返って見ると前袈裟が早く戻って来いよと言いたげにこちらを向いて聳えていた。後続者3名も直ぐにやってきた。更に先刻の4名が戻って、仲間と宴会を始めたの潮時に下山にかかる。いつの日にか中袈裟、奥袈裟と縦走してみようと誓って、別れを告げる。 
6 下山  数え切れないくらいの登山者とすれ違う  多数の寝釈迦見物者とも  
 前袈裟山頂に戻ってみると、なんと十数人が三々五々休憩しているではないか。女性の姿も目立つ。後袈裟へ行ってきた50分の間に大部増えたものである。この調子では、下りで大勢とすれ違うことになるだろうと予想して下山する。案の定数え切れないくらいの登山者とすれ違う。特に急降下の木の根っことロープ周辺では、行列に近い。下りるのもままならず。その後もドンドンン登ってくる。
 小丸山では、登る時に充分景色を見れなかったので、小休止をする。その間にもドンドン登山者がやってくる。雪の消えた皇海山が間近に見える。この山も庚申ルートで登ってみたい山の一つである。
 賽の河原手前で袈裟丸山連峰4座を写真に収める。遠くの斜面がアカヤシオで赤づいているのが美しい。このような景色を見ていると疲れも和らぐ。賽の河原につくと大勢が休憩している。この辺りになると登山者のほかにアカヤシオを見にきた人も多いのであろう。
 賽の河原を過ぎると、パタリと登山者に出会わなくなってしまった。どうやら、折場口から登る人の方が圧倒的に多いようである。やっと人に出会わない静かな山歩きを楽しみながら、寝釈迦まで下る。数人が食事を楽しんでいるのを横目に先を急ぐ。ここからが大変!またまた登って来る人とのすれ違いが増える。高年齢者と子供連れの家族が多い。どうやら寝釈迦見物のようである。
 やっと駐車場に着いてみると、三つの駐車場は満杯で30台くらいの車が停まっていた。 
7 塔の沢口 − 自宅  復路は粕尾峠経由で
 林道西山小中線の分岐を過ぎた辺りで、大きなザックを担いだ二人組を見つける。沢入駅まで戻るとのことなので、同乗を勧める。この二人が前袈裟手前ですれ違った下山者である。話を聞いてみると、横浜の人たちで金精峠から三日がかりで前袈裟まで縦走して来たとのことであった。羨ましい限り、今年の夏には一泊位の縦走をしてみるか。
 帰りは、粕尾峠を通る県道14号線経由で帰る。足尾から粕尾峠まではワインディングロードであるが、昼間の運転では別にどうということはない。結局、往路の日光経由(約100km)に比べて距離にして20km近く短い。しかし、沢入駅に寄り道したり、峠でのノロノロ運転の後になりで時間的には復路の方がかかってしまった。
HOME  
inserted by FC2 system