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ひとり山歩き355 : 横川のJOBSおじかから男鹿岳そして瓢箪峠へと第一日目に歩き、第二日は瓢箪峠から横川に下山しました。最近の高気温で雪に締りがなく、重荷を担いでの歩行に苦労しました。その代わりに好展望を堪能することが出来ました。
横川から男鹿岳(1777)〜瓢箪峠
2009年4月11日(土)〜12日(日)  11日は晴れ、12日は曇り後晴れ
1 行程     
ルートマップ(GPS)    ウォッちず : 男鹿岳  瓢箪峠  横川のJOBSおじか
11日 : 自宅(0:00) = JOBSおじか(2:00/2:10) − 白滝橋(3:15) − 胡桃橋(3:50/4:05、スノーシュー装着) − 男鹿川へ下る(5:35) − 谷筋へ(5:55) − 尾根取り付き(6:15/6:35、アイゼン装着) − 県境尾根到達(8:30) − 男鹿岳(10:15/10:45) − 1754ピーク(女鹿岳)(11:35) − 1730ピーク(14:05) − 瓢箪峠(14:35)
12日 : 瓢箪峠(5:05) − 1717ピーク(5:30) − 南鞍部・下山開始地点(5:45) − 廃・資材運搬路出合(7:25) − 林道に地肌(8:25/8:45、ピッケル格納) − 朽ちた木橋(9:10) − 朽ちた木橋(9:40) − 補修した木橋(10:05) − 廃・資材運搬路ゲート(10:20) − JOBSおじか(11:30/11:45) = 自宅(14:10)

2 自宅 − JOBSおじか
 尾ケ倉沢左岸尾根を鹿又岳目指して先週歩いたときに、新雪でスノーシューでも脹脛程度まで沈むので途中で退却した。この新雪が締まるのを期待して今週もJOBSおじかから男鹿山塊と決めていた。06年以来、毎年4月にJOBSおじかから男鹿山塊に出かけている。男鹿岳、鹿又岳、大佐飛山と登っている(日留賀岳は未)。今回は一泊で男鹿岳ー瓢箪峠ー大佐飛山を計画してみた。男鹿岳へのルートは08年4月9日に「山頂渉猟を追って」の管理者が通ったルートを真似て見ることにする。このルートは県境尾根へ急勾配が続くので、雪が締まっていないと苦しい。
 準備は出来たが、このところ初夏を思わせる日々が続き、雪の締まりは全く期待できない。4月中旬以降に行きたい山域があって先延ばしするわけには行かない。雪の締まっている早朝に少しでも距離を稼ごうと超早朝(というよりは夜中に)出発。自宅を発つときの外気温が16度で、今回の山行は厳しくなると覚悟する。JOBSおじかには前泊の人がいるかと予想していたが、車を見かけなかった。外気温は4度、この高温を嫌って避けたのであろうか。

第一日
3 JOBSおじか−男鹿岳
  気温が高く雪の締りがなく苦戦 ルート設定にも無理があった
 第一日はJOBSおじかー男鹿岳ー瓢箪峠経由で大佐飛山付近でテント泊の予定である。重いザック(スノーシュー、アイゼン、ピッケル込みで17kg)を担いで、雪の消えた男鹿川林道を北上する。男鹿橋、紅藤橋、尾ケ倉橋、廃・資材運搬路分岐、白滝橋と通過して来た。林道上には雪は全くない。尾ケ倉橋付近から山際に僅か残っているだけだが、雪解け水が流れて道路は泥濘んでいる。桂橋、高泉橋を過ぎると道路上に残雪が増えだした。雪は全然締ま七ケ岳と山 (県境尾根の標高1700付近から)っていない。過去に何度か歩いたが、早朝はよく締まっていたのだが。少しばかり我慢をして胡桃橋でスノーシューを装着。
 皮肉なものでスノーシューを履くと残雪が切れる場所が出てくる。三箇所ほど地面歩きをして栃の木橋を通過して15分ほどで、古いトレースが男鹿川へ下っている。男鹿岳に行くには、ここから男鹿川を渡渉して尾根に取り付き、県境の1280級ピークに登るのがオーソドックスのようである。06年4月7日(ひとり山歩き237)に瓢箪峠ー男鹿岳からの帰りにこのピークから男鹿川に下っている。
 ここまでの所要時間は2時間20分。計画時間よりも30分以上短い。この調子なら計画時間内(JOBSおじかー男鹿岳を7時間)にと淡い期待を抱いて、男鹿川左岸の林道を進むことにした。先刻の分岐からはもちろんトレースはなく、道筋もハッキリしなくなってきた。塹壕上の崩壊地を抜けて、樹木の育ってしまった林道跡を何とか追う。途中で、カーブを示す道路標識を見たので間違ってはいない。とにかく男鹿川の左岸を遡って行く。男鹿川面と左岸との差が大きくなってきた。少しばかり逆戻りして男鹿川へ下る。川原を適当に更那須岳方面 (男鹿岳山頂から)に20分ほど進んだ地点が、山頂渉猟さんが谷に上がった地点と推測して、谷筋に進む。20分で40メートルばかり登ると、谷筋は急斜面となる。自分のフットワークではスノーシューでは登れないと判断して、アイゼンに履き変えて右手の尾根に取り付くことにした。
 小尾根の急斜面をよじ登ってアスナロ樹林の尾根上に出ると、積雪は薄く雪が崩れて登りづらい。登るにつれて幾分かは勾配が緩み、ブナやダケカンバ混ざりだす。時にはダケカンバ疎林となって後方に七ケ岳と家老岳が枝越しに見えるようになる。県境尾根直下の標高1470からは尾根筋は消えて急斜面登りとなる。積雪は浅いようで脹脛程度の沈みで時々膝までもぐる。県境尾根に到達するのを楽しみに我慢の登りが続く。最後に栃木側に少しばかり張り出した雪庇を乗り越え県境尾根に到達した。山頂狩猟さんは男鹿川から40分足らずで登っているが、2時間半もかかってしまった。このルートは脚力がない者が重荷を担いで登るには無理筋であることを再認識させられる。
 男鹿川からの登りでスタミナを消耗してしまい県境尾根の歩みは極端に遅くなった。山頂渉猟さんなら今頃は鹿又岳から尾ケ倉沢右岸尾根を下っているところだ、などと考えると、かなり無理な計画を立てたものだ。気温が低くて雪がしまっていればもう少しは楽が出来ただろうに、と泣き言。県境尾根は樹木が疎らで日当たりがよいが、雪の締まりは悪く最中状で踝程度の沈み。スノーシューに履き変えようと思ったが、フットワークに自信がなくそのまま登り続ける。振り返ると七ケ岳が見えて、幾分かは疲れを癒してくれる。雪庇はなく尾根筋は広いので、安心して歩けるのが救い。最後に雪堤を登ってオオシラビソ林に入ると山頂部で左手が開けて那須岳方面の展望がよい場所に達した。注意深く辺りを見回すと、「栃木の山紀行」の山名板を見て、やっと男鹿岳山頂に辿りつけてほっとする。
 JOBSおじかから7時間の計画に対して8時間かかってしまった。この瓢箪峠までは雪庇が続く。苦手の雪庇歩きと雪の緩みを考慮すると、瓢箪峠まで2時間は怪しくなってきた(参考:06年4月6日には瓢箪峠から男鹿岳まで2時間35分)。今日中に大佐飛山付近までは実現性は薄くなってきた。山頂からは那須岳方面の展望が抜群。沼ッ原の調整池も見えるし、手前の尾根の山腹に塩那道路の道筋も見える。景色とエネルギー補給で疲れも幾分和らいだので重い腰を上げる。

4 男鹿岳 − 瓢箪峠
 山頂部の南側で大佐飛山方面を見ていると腰下までストンと身体全体が沈んでしまった。小心者はこれで雪庇歩きの恐怖心が頭にこびりついてしまった。以降はピッケルで慎重に足場を探ったり確保しながらの歩きとなる。これが樹林の中ならどんな踏み抜きをしても怖くないのだが、開放場所では恐怖心で歩くのもままならず。これほど恐れるならこんな場所へ来なければよいのだが、何とかしてこの恐怖心を克服してやろうと意気込んでくるの標高点1754への雪庇だが・・・
 男鹿岳からの下りは雪庇で一部に灌木藪が現れていて歩行の妨げとなる。小心だから雪上に出ている樹木よりは雪庇の先端側を歩けないから遅くなるのは仕方ない。どうにか鞍部まで下ると雪庇から開放されて、オオシラビソ樹林の中を登って標高点175(女鹿岳と呼ぶ人もいる)のピークに達した。尾根分岐地点の樹木に二びきの黄色テープ。二重尾根状になっていて、県境線の通る痩せた尾根が交わる地点が正確な標高点のようである。この地点は樹木は雪上になく、こんもりとしている。大佐飛山から名無山稜線の写真を撮ろうとしたが、踏み抜きが怖く先端に行けない。
 標高点1754からは方向を南から南西に変えて、再び雪庇下りとなる。灌木ヤブも現れ膝までズボズボ。この調子では瓢箪峠まで3時間なんて無理と考えるようになってしまった。そう思うと余計遅くなるから不思議だ。鞍部から登り返した小ピークで尻餅をつくと立ち上がる元気なし。そのままの姿勢でウェストポーチから行動食の大福を取り出してパクつく。10分ほど休んで腰を上げる。その小ピークを越した鞍部では塩那道路は左すぐ下に近接している。塩那道路を歩きたくなるが、斜面化していて危険箇所が予想されるので我慢をして尾根筋を辿る。更に次の小ピークを越した鞍部でも塩那道路が左下に近接する。ここでも誘惑にかられるが、1730級ピークへの登りの雪庇は歩き易そうなのでこちらを選ぶ。1730級ピークは思い出の場所。男鹿川林道の胡桃橋から尾根沿いに、06年に初めて雪の男鹿山塊に登りつめた地点である。当時は元気があった。早朝にJOBSおじかを出発してこの尾根筋を利用して大佐飛山を日帰りしたことを思い出す。今となってはとても無理だろう。
 オオシラビソ林のピークを下った地点が大佐飛山への取り付き地点である。現在14時20分、計画よりは2時間以上遅れてしまった。大佐飛山までは届かぬまでも途中でテント泊して翌日に大佐飛山まで行く手はあるが、疲労と雪に締りがないので苦労するのは必至(必死とはならないだろうが)。自然に足が瓢箪峠に向かってしまった。更に10分ほどで瓢箪峠、スペースハウスは窓から上が姿をあらわしている。06年の4月7日よりは積雪は浅いが、同18日並み。付近にトレースは皆無であった。

5 スペースハウス宿泊
 東側の窓ガラスが一枚破損している。ドアの開閉は不可能だが、南側の窓から出入りが可能。荷物を放り込んで、靴を脱いで室内に入ると床面の敷物はびしょびしょに濡れていて靴下を濡らしまった。床面の大部分を占めるブルーシートは窓からの日差しで殆ど乾いていたのはラッキーだった。利用する人は敷き物は濡れているかもしれないことを考慮しておく必要がありそう。 
 靴下を脱いでビニール袋を足袋代わりにして、靴下を外に出して乾かす。ブルーシートに腰を下ろし飲料水の準備にかかる。腰の下がなんとなくジメジメする。触ってみると腰の部分が濡れている。幸いにゴアの雨具を着用していたので事なきを得た。
 カップヌードルと握り飯で夕飯とし、テントを室内に張って17時にはシュラフにもぐりこむ。例によっていつの間にか眠りについてしまった。夜中に風の音で時々目が覚める。かなりの強風で吹き荒れる時間は短いが、朝方まで断続していた。夜半にテント外に出てみると満月で明るい。テントを張ったのは正解だった(テント内温度2.5度)
 家にいるときと同じく2時頃には目が覚めて、ラジオを聴きながら、今日の計画を立てる。1717ピーク南鞍部まで尾根を進み、そこから下山するか、山頂渉猟さんのルートを真似するか決めることにした。
 3時に荷造りを開始し、食事を摂って出発の準備を進める。

第二日
6 下山(瓢箪峠 − 1717南鞍部 − 廃・資材運搬路経由)  雪に締まりはなけれども下りでは問題なし
 明るくなるのを待って鹿又岳方面に歩きだす。インナー手袋だけでも指先に痛みを感じなかったので、気温は零度を幾分下まわる程度。早朝でもあり雪は結構しまっていて靴底がもぐる程度。瓢箪峠から二つ目のピークが高点1717で、前方の標高点1754方面を確認して鞍部まで下る。現在のところ曇天だが、これから晴天に向かい気温も上がるだろう。今のような快適な歩きは保証されそうもない。重荷でビクビクしながら雪庇歩きも気が進まない。ここで下山をすることにした。北西ないし西北西に下って行けば、廃・資材運搬路が受け止めてくれるので、とんでもない場所に行ってしまう可能性は皆無に近い。広い山腹歩きだから滑瓢箪峠落の心配もない。注意するのは踏み抜きだけ。出来るだけ直線的に下って最短距離をとりたい。
 下りだから多少の足の沈みは我慢できるのでせっかく持参したスノーシューは背負って壷足で下り始める。50メートルほど急降下すると、勾配はグッと緩み洗濯板のように低いうねりが現れる。委細かまわずコンパスを見ながら適当に下って行く。締まりはないがせいぜい脹脛程度の沈みで、体力増強のためと自分をごまかしながら歩き続ける。ダケカンバ疎林を見つけると、日当たりがよいので雪の締りを期待して足を向けるが、針葉樹林とあまり変わりがない。オオシラビソ林が主体だから展望はないが、ダケカンバ林に入ると、前方に七ケ岳が枝越しに見える。
 雪庇歩きでは恐々だが、このような樹林帯歩きは得意で大好き。高度が下がってくると、笹が頭を出している地点が目に付くようになってきた。急斜面で突然左足を腰まで踏みぬいた。その勢いで前方に倒れる。抜け出すのにひと苦労。抜け出すのにピッケルの助けが必要。ピッケルを雪の上に寝かして、それを支えに起き上がるのだ。ストックではひ弱で心もとない。
 標高1400まで下ると笹ヤブが現れだした。廃・資材運搬路は近いと思いながら藪を避けて下って行く。標高1340で雪を被った廃・資材運搬に出合う。当初計画ではそのまま尾根筋を直下降するつもりだったが、ヤブが現れているので重荷を担いでの藪漕ぎを避けて廃林道を下ることにした。廃林道上には樹木が育ち、潜り抜けるのに苦労する。道端には笹藪が現れているが、道筋の雪は締りが全くなく、脹脛近くまでもぐり歩きづらい。道なりに下って、標高1270で地肌現れたので、ピッケルからストックに換える。その後は雪が殆ど消えて廃林道を追うことが出来る。朽ちた木橋を二箇所通過して、山葵田の南斜面の崩落地を通過するときだけ注意が必要。昨年までは標高1000付近の木橋は朽ちていて渡れなかったが、朽ちた橋を補修して軽トラック程度は通れるようになっていた。
 廃・資材運搬路のゲートで男鹿川林道に出合い、道なりに進んでJOBSおじかに戻る。ゲートから振り返って鹿又岳を見ると、先週よりはかなり白さが薄くなっていた。ゲート先の狭い駐車地には自分の車の他に一台駐まっていた。座席にシュラフが見えたので、男鹿岳へ行ったのかもしれない。
 高気温続きで雪に締りがなく、苦労の多い二日間だったが、今年も雪山でのテント泊が出来て満足。 
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