ひとり山歩き336 : 太郎山の新薙コースから寒沢宿跡を訪れ、寒沢薙の左岸尾根を太郎山に登ってきました。尾根筋は針葉樹藪が波状的に濃くなりますが、新薙コースよりは危険度ははるかに少ないです。
寒沢宿から太郎山(2367)
2008年11月11日(火) 曇り
1 行程   写真
ルートマップ(GPS) 
自宅(3:40) = 新薙登山口付近駐車(6:00/6:10) − 新薙登山口(6:15) − 標高1900・寒沢宿分岐(7:00) − 寒沢宿(7:40/7:50) − 寒沢薙左岸尾根取付き(7:55) − 太郎山(10:50/11:20) − 小太郎山途中折返し(11:30) − 新薙コース分岐(11:40) − お花畑通過(12:00) − 新薙横断(12:05) − 標高1900・寒沢宿分岐(13:15) − 新薙登山口(13:50) − 駐車地(13:55/14:00) − 大田和宿散策(14:05/14:40) = 自宅(17:15)

2 自宅 − 新薙登山口
 @宇都宮氏の日光修験道歩きに刺激されて、寒沢宿から寒沢薙左岸尾根経由で太郎山に登ることを計画した。紅葉シーズンの奥日光の交通渋滞を嫌って、一段落するのを待っていた。準備を整えて好天待ちであった。本日は天気予報では曇天のため山行しないつもりであったが、早朝に起きて空を眺めると雲が薄いことが分かった。薄日くらいは射すであろうと推測し、軽食を摂って奥日光に向かう。
 新薙登山口の砂防ダムの前に駐車しようとしたが、林道整備のために重機がはいるので付近に駐車しないよう看板がにぎやかに立っているので、少しばかり戻って路肩に駐車する。すっかり明るくなった林道を歩いて5分の新薙登山口に向かう。

3 登山口 − 寒沢宿  薄い踏跡追うこと40分で静寂な寒沢宿跡へ寒沢宿跡の石像と石祠
 新薙コースは01年9月1日にひとり山歩き7で、山行帽子山から太郎山まで縦走して、その下りに通っただけであまり記憶はない。記憶に残っているのは、抉れ道と登山口付近が藪が濃くて分かりづらかったことくらいである。登山口付近は、笹の中に道筋が通っている。道筋は多少抉れているが、勾配はきつくなく気持ちよく登って行く。霜柱が立っているので、気温は氷点下になっているのかも知れない。今日からは、枚数は変わらないが上下とも厚手のウェアを着用したせいか寒さは感じない。
 寒沢宿への分岐地点は標高1900付近で、立ち木に黄・赤・黄のテープが三本巻いてあるとの情報を得ている。このテープを見逃さないようテープには気を配って登る。いろいろなテープがついていて紛らわしい。標高1850で左手が少し開けて太郎山を写真に撮って通過すると、右手に赤ペンキと踏跡が見えた。目指す目印でなく、標高も僅かに低いので先に進む。右手の細い立ち木に目印の三本テープが目についた。ここが寒沢宿への分岐で、踏跡はかなり薄いのでトレースするのが難しそう。
 @宇都宮氏の情報に基づいて、コンパスを北東に合わせて踏跡を追う。藪山で獣道を拾う訓練が出来ているせいか、何とか追うことが出来る。テープ類もついているが、小沢を渡るときに踏跡を失うが、コンパスを見ながら北東に進むとすぐに踏跡に戻る。この踏跡を追うコツは、北東に高度を一定(ほんの僅か下り基調)に保つことである。空き地(飯場跡?)から約10分(分岐から40分)で静寂な平坦地に到達した。ここが寒沢宿跡と感じて、左手を見ると石像一体と石祠二基(一基は破損)が目にはいった。石祠には享保14年とあるらしい(自分の目では未確認)。西暦にすると1729年で八代将軍吉宗の時代まで遡る。

4 寒沢宿 − 太郎山  針葉樹の密藪が波状的現れる  旧市/村境界付近に部分的に薄い踏跡と赤テープを見る
 寒沢宿から太郎山への修験道は寒沢薙の左岸にあったらしい、と@宇都宮氏から情報を得ていた。そのつもりで出かけてきたが、寒沢宿から北に伸びる踏跡の様子を探るべく進んでみた。宿跡のすぐ先で一升瓶、一斗缶や古いワイヤーを見かける。更に踏跡は続くが、この踏跡の先は@宇都宮氏のルートマップに示されている(10月26日に掲示板に書き込寒沢薙と大・小真名子山 (標高2250付近から)み)。計画通り寒沢宿まで戻って、寒沢薙の左岸沿いを歩くつもりで地形図を見ているうちに気が変わってしまった。寒沢薙の左岸尾根は幅広で、どこでも歩けるように見える。今までの経験から如何に尾根筋が広くても裾に近い部分をトラバースするのは歩きづらい。修行道跡の薄い踏跡が見つからないと苦労する。尾根の最高部を歩くのが、尾根屋の自分に一番合っていると方針変更。そうと決めたら、現在地を尾根取付き地点と決めて方向を北から西に変える。
 シラビソ林の広い尾根筋には藪は少なく、古い切株があちこちに見ることができた。シラビソの小藪や倒木を避けながら登って行くと、獣道か踏跡だか判別できないが、これを拾いながら登って行く。標高1960から2200にかけて、小さな赤テープを三つ見つけた。三つ目の場所には標石も見つかった。旧日光市/栗山村の境界に沿って歩いているらしいことが判明した。最後の赤テープを過ぎると針葉樹の密藪が波状的に現れ始めた。時にはシャクナゲも姿を見せる。藪の少ないとところを求めて右へ左へ振りながら登って行く。樹木が密で尾根筋を見通せないので、高度計を見ながら登るにつれて少しずつ向きを西に近づけて行く。
 針葉樹藪とシャクナゲ藪に悩まされる(密藪にはなれているので、苦痛になるほどではないが)。真西に向いて歩いていると、標高2240で小さな赤テープが目にはいった。付近を探ると数メートル左(南)に岩が見える。そばに行ってみると、そこは寒沢薙で大真名子山と小真名子山が展望できる。藪から開放されて浅い薙を歩きたい衝動に駆られる。ここまで尾根筋を歩いてきたのだからと、赤テープに戻り西に進むと、すぐ先で標石を再び見る。赤テープからは踏跡状で藪はなく歩き易い。これはヒョットしたら修験道跡かと一瞬思った。標石付近は二回とも踏跡状になっている点より判断して、標石埋設時に付けた踏跡のような気もする。赤テープはその後歩いた人が付けたのであろうか。@宇都宮氏の今後の調査に期待することにしたい。
 標高2330付近で針葉樹の小藪が現れ、これを突破して山頂間近で一升瓶を見つける。北西尾根に到達すると山頂方面に向かって明瞭な踏跡がありこれを追うとすぐに前方が開けて、03年9月以来の三回目の太郎山山頂に達した。今までの藪から開放されて、たった一人で山頂からの展望を楽しむ。今日は薄日が射す程度で太陽は目にすることはないが、清澄度がよくて遠望が利く。会津の高い山(駒ケ岳、燧ケ岳、平が岳)は白くなっているが、白根山をはじめとして奥日光の山(男体山、大・小真名子山、女峰山)にはまだ雪が付いていない。浅間山が雲の上に浮き出ている。気温は低いが、下着の汗はすでに乾いてしまったので気持ちよく一時を過ごす。

5 新薙コース下山と大田和宿  新薙コースの下りは苦手 嫌い嫌い大嫌い!!
 思ったよりもすんなりと山頂に達してしまったので、時間を持て余す。景色も楽しみ、腹もいっぱいになったので下山にかかる。太郎山〜小太郎山は過去に二度歩いているが、尾根筋が思い出せないので小太郎山まで足を伸ばしてみる気になった。山頂直下の新薙コース分岐から南西に痩せ尾根を辿る。鞍部への手前から小太郎山まで見通せたので、目的は達した。遅くなるといろは坂の渋滞に巻き込まれるかもしれない、大田和宿も行ってみたい、の思いがおこりここで折り大田和宿の石祠と石像返すことにした。
 分岐まで戻って新薙コースを下る。お花畑入口で大岩の間をすり抜ける。右の大岩の下に石像を見て撮影して、お花畑(噴火口跡)を通過する。5分後に薙を通過、更に5分後に再び薙を通過して左岸の登山道歩きとなる。道筋は抉れと露岩で足場が悪い。土の部分は霜が融けて滑り易い。往路の藪漕ぎに比べたら危険度は高い。途中でロープあるも岩や灌木に手がかりを得て足場を慎重に選びながらの下りはヒヤヒヤもの。開けていなければ、どうということはないのだが、開放箇所は苦手だ。標高2150で写生をしている人に出逢う。この辺からは、樹木で周りが覆われ、露岩も少なくなり、ひと安心。標高2000以下になると勾配も緩やかになって、ノンビリと歩けるようになる。
 標高1900で寒沢宿分岐を通り越して、その直下で赤ペンキと境界見出し標を見て左(東)への踏跡を辿ってみた。数十メートル進むとオイル缶やブリキ板が飛散する広場に達した。この踏跡は07年5月26日にふーせんさん等が寒沢宿へ辿った踏跡であろう。その先は追わずに登山道に戻り、無事登山口に到着。
 駐車地に戻り、ザックをトランクに収納して、裏男体林道を志津方面に車を駆る。カーナビ任せで大田和宿付近の路肩に車を駐める。コンパスを設定して、薄い踏跡とテープ類を追って南に進む。浅い草つきの沢と涸れ沢を渡ってカラマツ林を進むと平坦地に達する。ここが大田和宿跡と直感して辺りを探ると、石像三体と石祠一基が目にはいった。修験道や宿跡に特別の興味はないので、写真撮影をして駐車地に戻る。
 心配していたいろは坂の渋滞はなく、紅葉を楽しみながらの運転。いろは坂は数え切れないくらい通過したが、紅葉を見たのは初めて。今日は短時間ではあったが、急遽出かけてきた甲斐があった。 @宇都宮さんに謝々!!
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