ひとり山歩き317 : 檜枝岐村の左惣沢から長須ケ玉山に登り孫兵衛山・引馬峠・台倉高山と山中一泊で周回してきました。雨上がりと高気温で雪に締りがなく予想以上にハードな歩きとなりました。県境尾根は藪の無雪期に歩いたのとは全く様相が異なり開放感に浸ることが出来ました。
長須ケ玉山〜孫兵衛山〜台倉高山周回
2008年4月21日(月)〜22日(火) 両日とも晴れ
1 行程
ルートマップ(GPS) 
第1日 : 自宅(0:35) = 檜枝岐村左惣沢出合(3:35/4:20) − 左惣沢二俣(6:15) − 1714東鞍部(7:30/7:40) − 長須ケ玉山南峰(9:40/9:55) − 1901ピーク(10:30) − 1878ピーク(12:25) − 孫兵衛山(15:05/15:20) − 県境(孫兵衛山南峰)(15:35) − 1915鞍部(幕場)(16:50)
第2日 : 幕場(4:40) − 引馬峠(5:20/5:30) − 引馬山(6:00/6:10) − 1938ピーク(7:00) − 1895ピーク(8:05) − 台倉高山(9:50/10:10) − 台倉高北峰(10:55) − 1940ピーク(11:55) − 舟岐川林道出合(14:00/14:15) − 舟岐川橋(黒沢出合)(15:40/16:10、30分ルートミス) − 左惣沢出合(17:50/18:00) − 自宅(21:05)

2 自宅 − 左惣沢出合
 「山頂渉猟を追って」の管理者が96年4月末の残雪期に長須ケ玉山〜孫兵衛山〜台倉高山〜舟岐川林道を山中一泊で周回している報告を2年ほど前に見つけた。その頃は残雪歩きを始めたばかりで、山中でのテント泊なんて考えられなかった。昨年の3月に雪山でのテント泊を経験し、自分にもヒョトしたらできるかも知れないと思い始めた。その第一段階として昨年の4月20日に偵察をかねて左惣沢出合から長須ケ玉山に登り、孫兵衛山までの日帰りピストンを実行した。時間切れで途中退却となったが、山中一泊で前出の周回は可能性ありと判断した。その後、無雪期に馬坂峠〜台倉高山〜引馬峠 と 引馬峠〜孫兵衛山〜鬼怒沼 の県境尾根を歩くことが出来た。
 今年の残雪歩きのメーンイベントとして実行することにして、ジックリ計画を練ってきた。雪が締まるのと、舟岐川林道の除雪が進む時期を待った。ぼちぼち実行の時期と準備を終えて二日続きの好天を待っていた。雨あがりと高気温で雪が充分締まっていない心配はあったが、好天の21〜22日に実行することにした。ザックの重量は16kg強、衣服や装備を含めた総重量は100kg超・・・重過ぎる!! 踏みぬきに悩まされそう!! 雪山でのテント泊の経験が一回しかないので、不安になりどうしても荷物が増えてしまう。耐えられなかったら途中で戻ればよいし、食料があれば二泊でも三泊(これはチョット怪しいが)でもする覚悟。
 山行のモットーは「明るくなったら登り始め、暗くなるまでに出発地に戻る。」で、左惣沢出合発を明るくなる頃と見計らって家を出る。国道352号線は貝鳴山の先で国道121号線と分かれると対向車もなくスイスイ。会津駒ケ岳の登山口の約2km先で、帝釈山登山口の大看板を見て舟岐川林道に入る。一週間前は500mほどで除雪終点だったが、読みどおり左惣沢出合の先まで除雪は済んでいた。かなり早めに左惣沢出合に着いてしまったので、少しばかり時間調整をする。
 
3 第1日(左惣沢出合〜長須ケ玉山〜孫兵衛山〜幕場)長須ケ玉山南峰付近
 念のためにスノーシューも持参したが、凹凸の少ない所はスノーシューの方が断然有利だが、吹き溜まりのような膨らみではスノーシューでは雪が崩れるばかり登りづらい。お荷物になる可能性もありワカンとした。緩み防止のために6本爪のアイゼンをつけてワカンを装着(アイゼンの爪でワカンの横バンドを固定する)して左惣沢の右岸に踏み込んだ。車載温度計では5度(実際は2〜3度位)で気温は高く、雪の締まりは悪くワカンでも踝までの沈みが常態で、前途多難が予想された。杉植林そしてカラマツ、ミズナラ林と通過して行く。標高1350付近で大岩を見て右岸から左岸に移る。以降は沢の水流は雪の下となり、適当に歩き易い所を求めて右岸、左岸を繰り返す。そのうちに沢の上がよく締まっていて台倉高山(右)と帝釈山(左)  (好展望から)歩き易いことに気付いた。昨年は踏跡があって楽に追うことができたが、今年は全然見かけない。
 標高1400過ぎての二俣は左俣へと進む。相変わらず踝までの沈みで、時には脛まで潜るという感じの歩き。だんだん両岸が高くなってきてV字溝の中を歩く格好となる。疲れて振り返ると真っ白な駒ケ岳がみえるようになった。勾配がきつくなり、額に汗しながら登り続ける。やがて勾配が緩やかになり、ドーム状の1714ピークが見えてその東鞍部に達した。古い踏跡が長須ケ玉山(三角点峰)に向かっているのが確認できた。昨年は鞍部から三角点峰に直登して急勾配に悲鳴を上げた。今回はそれを避けて三角点峰をバイパスするように山腹をトラバースしながら南峰を目指した。コメツガ針葉樹林で雪に締まりがなく、脛までの沈みが常態で時には腿までの踏みぬきに耐えながら黙々と登り続ける。三角点峰と南峰の中間あたりで主稜線に達した。尾根筋は広く針葉樹で見通しが利かない。コンパスに従って進むだけ。昨年は枝についた新雪で先が見えなかったのと、枝に触ると身体が雪で真っ白になったが、前日までの雨で洗い落とされてしまったせいか、見通しはよくて助かった。その反面ザラメ状の雪で締りがなく歩きづらい。どこが標高点1908が分からないので、小高い所を長須ケ山の南峰として小休止。汗がひかないので温度計を取り出すと5度もあった。昨年はここまで4時間5分だったが、今年は4時間20分。荷物と雪質を考量したら上々の出来と意欲が湧く。
 再びコンパスを合わせてオオシラビソの広い尾根(平坦地の感じ)を次ぎの目標1901ピークへ進む。下り始めると尾根筋が明瞭になってひと安心。ルーファンに関しては無雪期の密藪尾尾根歩きに比べたら楽で天国を歩いている感じ。でも疲労度は足の沈む残雪歩きの方が辛い。重荷のせいもあるが、残雪歩きは三輪駆動(?)だが、藪山は両手も使う四輪駆動だから楽だ。鞍部で左手に真っ白な小雪原(無雪期には湿原=田代)が見える。鞍部から70mほど登ると展望のない1901ピークに達した。この区間は昨年よりも多少は所要時間が短い。気をよくして昨年退却した次の目標1878ピークを目指して下りにかかる。相変わらずのオオシラビソ林で展望は時々左に台倉高山方面と右に黒岩方面が枝越しに見える程度。ワカンでも脛まで沈むようになってきた。歩行速度が落ちていることがハッキリと分かる。先行きに多少の不安がよぎり始める。やっと昨年引き返し地点となった好展望地に達した。駒ケ岳、大中子山、台倉高山方面の展望をしばし楽しむ。尾根上にはアスナロが混ざりだしてその周辺はコブ状になっていて急に歩きづらくなる。幾つもコブを越してオオシラビソとダケカンバの1878ピークに達した。この頃になると疲労し、引き返そうか進もうかの葛藤が起き始める。日帰りでないのだから孫兵衛山までは絶対に行くぞ、と鼓舞しながら進むようになった。
 1878ピークから少しばかり下った鞍部から孫兵衛山までは約200mの登り、展望もなく黙々と歩き続け孫兵衛山山頂る。気温は7度に上がっている、喉の渇きも増して水を飲む頻度が増えてきた(今日は水3.5リットル持参して幕場までに1.5リットル消費)。標高点1948付近で向きを南東から南に変えて、相変わらずのオオシラビソ林(時にはダケカンバが混ざる)の尾根を進む。標高2400の平坦地は雪がコブ状になっていて予想外に歩きづらい。孫兵衛山の北峰の登りにかかると我慢しきれず小休止をとる。ダケカンバの陽射しのよい場所でも雪に締まりは全然ない。今まで歩いてきた限りでは、苦しくなって孫兵衛山で引き返そうの気持ちが強くなる(幕場はどこでもとれる)。辛い登りに耐えて北峰に登り詰める。ここから平坦地を渡り、最後に僅かに登り返すと孫兵衛山の三角点峰に辿りついた。山頂は雪が吹きだまっていたSSKさんの山名板が雪上1mの高さに見える。ここは約半年振りの訪問で感慨も一入。
 計画では引馬峠にテント設営だがギリギリで、「山頂渉猟を追って」の管理者と同じ場所にテント張るのなら間に合いそう。戻るべきか進むべきか迷う。この先は地形も知っているし、一日で歩けなければ二日掛ければよい。戻るのも苦痛が伴う。同じ苦痛を味わうなら進め、と考えを決める。気持ちに整理がつくと元気が回復。ザックを背負って県境の南峰に向かう。無雪期は藪以外には何も見えなかったが、広い尾根上は見通しがきき歩き易い。無雪期には密藪の中を50分要したが、15分で県境の南峰まで歩いてしまった。多少の脚の沈みで三輪駆動といえども藪山の四輪駆動よりは楽か、と先刻とは考えが逆転する。
 ここからは方向を東に変えて下りとなる。幕場が近づき右手に日光連山が見えたりで元気が回復して来た。オオシラビソにダケカンバの混ざる915鞍部に達した。山頂渉猟氏に倣ってここでテントを張ることにした。昨秋の山行ではこの付近には旧登山道名残りの踏跡があり営林署の火事に注意の看板が落ちていたことを思い出す。雪面を踏みしめてテントを張り、飲料水の準備にかかる。外でコンロを使うので湯の沸きが遅い。カップヌードルと握り飯の夕飯が済む頃には暗くなっていた。
 シュラフに潜り込んだのが19時過ぎでNHKのニュースを聞いているうちに寝込んでしまった。相変わらず寝つきはよい。21時過ぎに落語の放送をしているのが分かった。落語は大好きで一生懸命に聞こうとしたが、いつの間にか眠ってしまったようだ。テントはフライは使わず、シュラフ(ダウン350g)とゴアのシュラフカバーで特に寒いという感じはなかった。いつものように2時頃に目を覚まし、室内温度を測ると零度。明るくなったら出発という気持ちが強すぎて、準備が早めに進みシュラフカバーを再び取り出し潜り込む。朝食のカレーとアルファ米をモーリアンヒートパック(アルミニウムを利用した発熱材)で暖めるつもりだったが、いつもの横着な性格が災いし、折角の利用テストを中止してバナナと冷たい握り飯で我慢。

4 第2日(幕場〜引馬峠〜台倉高山〜舟岐林道)
 樹木の枝にぶら下げておいた軽アイゼンとワカンは凍結を心配したがすっかり乾いていた。これらをダブルに装着して、ヘッデンなしで引馬峠に向かって歩き出す。テント内温度は零度程度だから屋外はせいぜいマイナス3度で表面だけは硬いが、歩くと脛まで潜る。今日も辛い歩きが予想される。僅かに登って1920ピークを幾つかの小コブを乗り越して通過し、引馬峠への下りにかかる。昨年、山部さんとノラさんが30年以上亡出とされていた日本一高所にある引馬引馬峠の水準点を見つけ出した。その水準点にGPSを利用して近づいた。水準点はもちろん雪の下だが、山部さんとSSKさんの名板が見れるかもと行って見たが、どうやらこれらも雪の下のようでガッカリ。
 過去に二度も見ているからと慰めて、次ぎの目標点に向かう。登りは結構きついが三輪駆動で元気よく登る。山頂直下の県境付近には岩が多いようなので。左を巻くよう心がけるのだが、どうしても楽な尾根上(県境)歩きになってしまう。岩が目に付きだしトラバースしながら登り詰めると引馬山(地形図には記載なし)山頂で小高く雪が吹きだまっていた。SSkさんの山名板が雪面50cmくらいの所に見ることが出来た。高原山、日光連山と近くには平五郎山と展望はよい。
 引馬山から下り始めると腿までの踏みぬきの連続でどうなるかと思ったが、すぐに今回の定常状態に収まり一安心。尾根が北西から北に向かうあたりからは雪庇が連続している。右手(栃木側)の見通しはよい。雪庇で歩きは捗る筈だが、開けた高所になると谷側にひきづられそうな脅迫観念が湧きあがり急に歩みが遅くなってしまう。ピッケルの助けなど必要な場所ではないが、一歩ごとにピッケルを刺しながら歩く始末。それでも恐ろしくどうしても左手の樹林の中引馬山から日光連山を望むへルートを求める。自分には密藪の方が余程好きだ。なぜなら藪にしがみつけるし、谷など見えないから恐怖心は全くない。目さえ注意しておけば密藪の中ほど安全な場所はない(転落もなければ、熊や猪に遭遇することもない・・・世の中もこんな安全な場所ばかりなら過ごしやすい??)。次ぎの目標点1938ピークへの下りの地点で長い雪庇は終点となった。好展望とはお別れして再び樹林の中を安心して歩く。1938ピークは針葉樹林の中で展望は全くない。
 この先でも時々雪庇は現れるが、先刻のような長いものはない。その都度、右に日光連山、左に駒ケ岳を眺めることができる。引馬山と台倉高山のほぼ中間点の1950級ピーク付近では台倉高山は目の前に迫ってきた。一旦下って登り返すと1895ピークでこれからの進路をよく確認して、北西に下って、鞍部で北東に進むことになる。適当に歩いたので県境からはやや東側を通過。無雪期には先が見えなかったが今の時期は多少の見通しがあり、地形も読めてルーファンの苦労は少ない。高い所を目指して登って行くとなんとなく尾根筋は見えてくる。勾配が結構きつい上に吹き溜まりのコブがあるので一層急勾配に思える。樹林の中を登っている限りでは恐怖心は湧かない。時々ダケカンバの切れ間があると燧ケ岳や日光連山が見えるのだが、見ている余裕はない。標高台倉高山 (1950ピーク付近から)1950で勾配が緩んだと思ったら雪庇が現れた。出来るだけ左手の樹木のある方を歩くようにする。雪庇の上には小動物の足跡が多い。自分もあのように歩けたら楽に登れるのだが・・・ 登り詰めた台倉高山の山頂部は小高い吹き溜まりとなっいる。檜枝岐村が設置した山名ポールの天辺が吹き溜まりと同一レベルにある。山部3Dプレートと栃木の山紀行の山名板も吹き溜まりの下部から姿を見せている。
 しばし好展望(会津側と栃木側)を楽しみ、いよいよ下山開始地点である台倉高北峰に向かう。吹き溜まりを下り始めると腰までズブズブ踏み抜きが恐ろしくて下れなくなってしまった。仕方なしにシリセードの格好で手足を使って漕ぐように下る。腰がスッポリ埋まってしまうので滑落の心配はないが、身体ごと埋まってしまうのではと恐る恐る下る。ほんの僅かな時間であったが、今回の山行でもっとも恐ろしかった。北峰への雪庇は尾根上よりは右(栃木側に張り出しているので、ここも雪庇を避けて尾根筋を辿る。ここで今回始めて赤テープを膝下に見つけた(今までの県境尾根にもテープ類は多いのだが雪の下に隠れている)。やはり吹き溜まりのある台倉高北峰に登りひと安心。これからは下るだけで労力は少ないが、踏みぬきは多台倉高山からのパノラマくなるだろうと予測して針葉樹の北西尾根に向かう。尾根筋は明瞭で歩き易い。踝から脛程度の沈みは下りだから全然問題なし。でも時には腰までズブリと来る。両脚が同時に沈んだ方が脱出には楽だが、片脚の場合は体力を消耗する。時にはワカンが雪下の枝に挟まり抜けなくなる。ピッケルで穴を広げて脱出するなど自分の身体がコントロール不能に陥る。藪山の方が余程楽でよい。自分には残雪歩きは向いていないと諦める。こんなこともあるがこの尾根は概して歩きやすい。古いスキーのトレイルが残っていた。時々見えなくなるがこれを忠実に追って下る。神様が見かねて助け舟を出してくれた感じ。鞍部から登り返すと途中でスキー跡は消えてしまった。付近に足跡は見えない。どこから登って来たのやら。そこからほんの少し登ると1940ピークでここで尾根を乗り換える。
 藪の時期なら悩まされそうな地形だが、今は尾根筋が見えているので難なく乗り換えに成功。尾根筋は広いが藪山のブラインド歩きになれているせいかルーファンには然したる苦労はいらない。標高1750位になると尾根筋は明瞭となり、帝釈山や台倉高山が見えるが立ち止っても写真を撮ろうなどという意欲は湧かない。標高1720で尾根筋が別れて北北西に進むようになる。地形図で見るとここのルーファンが難しそうだったが、尾根筋は読めて然したる苦労もなく進むことが出来た。下の方からは沢音が聞こえだした。もうすぐ林道に下山できると喜んだのも束の間、標高1600くらいになると、雪解けが進んでネマガリダケが姿を見せるようになった。藪はどうということはないのだが、腐り雪で腰までの踏み抜きと足が滑って何度も尻餅をつく始末。最後は右下の平坦部にシリセードまがいで下る。そこから数分進むと無事に舟岐川林道に下山できた。
 ここまで来たら間違いなく明るいうちに駐車地まで戻れると安心して歩く。林道筋は雪が積もっているが斜面化している場所は殆ど無いが、相変わらずワカンでも踝程度沈みを我慢しながらひたすら歩き続ける。黒沢にかかる舟岐橋を通過した。この黒沢は火打石沢に遡り引馬峠付近に発しているのだ等と思いだしながら歩いていると、舟岐川にかかる平橋(欄干なし)を見逃して左岸の作業道をかなり下ってしまった。もう間違いはないと安心していたのが大間違いで30分もロスしてしまった(今回の山行で唯一のミス)。小沢倉沢出合付近で道路面が露出ようになったので、ワカンとアイゼンを外す。足取りは軽くなったが、それ以降も路面は残雪で覆われいた。ここでも神の助けがはいり、真新しい靴跡が現れその上を歩く。除雪終点は左惣沢出合から500m位の地点で、そこにはSUV車が駐まり、運転手が弁当を食べていた。先刻の足跡の主と思われる。自分の自動車が見えて左惣沢出合に無事戻れた。
 テント泊での残雪歩きになれない身にとっては極めてハードな山行であった。「山頂渉猟を追って」の管理者氏の明瞭なレポートに助けられて安心して歩くことが出来た。体力的にはこれが自分の限界で、これ以上の挑戦は避けるべきと自戒する。 
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