ひとり山歩き243(番外編) : 第30回桐生〜足尾24時間・100キロウォークに参加し、無事完歩することができました。30年間続いた由緒ある大会ですが、今回が最終回とのことで悪天候にもかかわらず通常よりも多数の人が参加し、大会のフィナレを飾りました。
第30回桐生100キロウォーク24最終回
2006年5月27日(土) 雨 〜 28日(日) 雨のち曇り
1 主催    桐生走ろう会

2 日時    5月2727日(土)17時〜28日(日)17時

3 コース   桐生駅〜日光市足尾神子内・牛蒡沢折返し(往復100キロ)
             経由地 : 水沼駅・東葉電機(神戸駅付近)・通洞駅・牛蒡沢折返し・通洞駅・草木ドライブイン・水沼駅  ルートマップ

4 参加者   申込者164名、参集者145名、完歩者89名(懇親会で関係者から聴取)

5 結果    43番目にゴール(順位を意味するものでなく、たまたま43番目にゴールに到着)

区間 チェックポイント 区間距離
(km)
通算距離
(km)
到着時刻 出発時刻 区間時間
(hr)
通算時間
(hr)
区間速度
(km/h)
平均速度
(km/h)
標高
(m)
スタート・桐生駅 17:00 120
水沼駅 16 16 19:45 20:35 2.75 2.75 5.8 5.8 260
神戸・東葉電機 10 26 22:10 23:00 1.58 4.33 6.3 6.0 390
通洞駅 16 42 1:52 2:35 2:87 7.20 5.6 5.8 660
折返し・牛蒡沢  8 50 3.57 3.57 1.37 8.57 5.8 5.8 850
通洞駅  8 58 5:20 6:22 1.38 9.94 5.8 5.8 660
草木ドライブイン 14 72 8:54 9:43 2.53 12.47 5.5 5.8 480
水沼駅 12 84 11:57 12:34 2.23 14.70 5.4 5.7 260
ゴール・桐生元宿集会所 16 100 15:25 2.85 17.55 5.6 5.7 120

5−1 往路
 日課のウォーキングは時速6kmを目安に約1時間歩いている。この一ヶ月は時速6kmで1.5〜2時間のウォーキングを日課とした。6km/hのペースでどのくらい歩けるか試したが、靴擦れができてしまい連続4時間が最高となった。山行では15時間〜18時間歩いたことは何回もあるので、足底に肉刺ができなければ100kmを歩く自信はあった。スタート前の記念写真
 予報では大会期間は天気は悪く、スタートするとさっそく小雨が降り出した。第1区はスタート後しばらくは市街地を通過するので、信号待ち等でペースは上がらない。最初はペースメーカーの後を歩いたが、自分の速度よりも遅くペースがあわないので、自分のペースで歩くべく先を急いだ。ペースメーカーにお構いなく先を急ぐ人は多く、中継所の水沼駅に着いたときには、駅の待合室は満杯であった。駅で湯茶と西瓜の接待を受ける。雨具のズボンは着用していたが、上は無防備だったために肌まで濡れてしまった。ここで雨具の上も着用したが、気温があがらないので濡れたシャツが乾かず後々まで問題を残した。
 水沼駅スタートまでに50分の休憩となったが、この間に体が完全に冷えてしまい、スタート直後はペースが上がらない。途中からペースを上げて先頭集団を追うも、早くて追いきれない。気がつくと速い集団と遅い集団の中間を単独行となってしまった。その分自分のペースで歩けたので比較的楽な区間であった。神戸スタート直前駅付近の東葉電機が第二区のチェックポイントで、工場建屋内で休憩をとる。バナナと団子をご馳走になる。「ここまでで26km、全工程のまだ1/4と考えるか、既に半分来てしまったと考えるか」などと冗談を言う余裕もあった。ゴアテックスの雨具も古くなり防水性能が落ちたようで、下着が乾くどころか益々濡れて身体が冷え込んでしまった。いつも好天を選んで山行を重ねるから、雨具の性能が落ちていることなど考えてもいなかった。今日が山歩きでなくてよかった。山でこれだけ降られてしまったら凍えてしまうところだった。近いうちに更新することにする。
 雨具だけでは心もとないので傘を差して歩いた。身体が温まるのを待って歩行速度を上げるが、雨と疲れで思ったようにはスピードは上がらない。やはり途中からはひとり歩きとなっていた。足尾の旧道に入ると不案内でサタート直後(桐生市街地)道に迷わないように先行者の点滅ランプを追って懸命に歩く。山歩きの場合は途中の出来事をICレコーダーに記録しておくのだが、雨模様でその気になれず。今日はチェックポイントの到着と出発だけを記録する。通洞駅舎は電灯が点いていないので、山小屋に深夜にたどり着いた感じ。例によって先着者で座る所はない。仕方なく傘を差して庇の下で休みを取りながらエネルギー補給をした。中継所に到着はいつも真ん中の感じがする。今までのところスタート前に注意はあるが銘々の速度で歩いているようだ。
 駅でペットボットルに水を補給して折返し点に向かう。山行の場合もそうなのだが、水分はオンデマンドで補給できるように、ペットボットルを肩からかけて歩く。自分の場合は時々ザックをおろして水分補給するよりは、チョビチョビ歩きながら飲む方が調子がよいようだ。国道122号に戻って折返し点に向かう。対向車を見るたびに、足尾の山に行くときには丁度今時分に折返し点のほうから下ってくる自分を思い出す。折返して戻る先頭に出会って7分後に牛蒡沢の折返し点に到着した。通洞駅に荷を置いてきたので、傘差しの上り坂にもかかわらずほぼ自分のペースで歩けた。復路は下りになるので速度が上がると思ったが、登りの往路と全く同じ時間を要した。気が張っているから分からないが、大部疲れてきたようだ。折り返すと明るくなり始めて、折返しに向かう参加者の疲れた姿が目に入る。またまたひとり歩きで、途中で道を間違えそうになる。偶々大会関係者が通りかかったので大事に至らず通洞駅に戻れた。うどん入りの味噌汁がうまかった。ついでに握り飯もほおばる。食欲はあるから疲労という点からはまだまだ大丈夫と確信する。リタイヤして始発電車で戻る人にわかれの挨拶を受ける。疲労よりも肉刺ができて歩けない人が多いのではと推測する。昨夜から雨が連続していて靴下を濡らしているので、肉刺ができ易かったのであろう。自分は今までのところ肉刺はできていないようだが、その兆候はある。

5−2 復路
 一時間の休憩をとって草木ドライブインを目指すが、雨は益々強くなってきた。携帯ラジオによると雷も予想される。ここまで我慢してきたからにはないが何でも完歩するぞ、と自分自身を鼓舞しながら歩く。通洞駅では靴下を取り替えるべきだったが、その意欲が起こらずスタート以来履き続けているので、かなり濡れてしまった。肉刺ができるのは必至。完歩目指して歩行速度をやや下げたが、それで楽になることはなかった。いよいよ大嫌いな雷が鳴り出した。落雷しないよう祈りながらの歩きとなってしまった。今大会は初参加で最終回となるので、気分よく歩きたかったが天気ばかりはどうしようもない。多少とも気を紛らせることができたのは、この区間は皇海山、袈裟丸山、小法師尾根等に行くために何度も車で通過したことがあり、その時の情景を思い起こせたことだ。草木湖が左手にチラチラ見え出すと、幸いにも雨が止んでくれた。富永美術館を過ぎると草木ドライブインで、ここで昼食となる。ここでも握り飯4個を一気に食べてしまった。食欲の旺盛なのには自分でもあきれる。荷物は主催者側がゴールまで運んでくれるというので預けて身軽にした。
 銘々が勝手な速度で歩くので、列が長くなりすぎるから5km/hの速度を守るよう、ミティングで指示があった。それでも先を急ぐ人を抑えきれない。ドンドン先に行ってしまう。完歩目指しての自重ペースを守る。霧状の雨が時々降るが、どうやら雨は上がったようだ。ドライブインを出発する前に雨具の無事にゴール上を脱いだのは正解だった。ドライブインで休憩中に足底に痛みを感じていた。いよいよ足に肉刺ができたらしい。治療法を知らないのでそのまま歩き続けるが、気が張っているせいで歩いている間は痛みはあまり感じなかった。スタッフが時々車で通りかかり、通過距離を知らせてくれる。その都度、残り時間に換算して自分自身を鼓舞する。完歩が頭にあるので歩行速度は上がらない。疲労が蓄積してスピードが上がらないというのが正しいのかもしれない。先着者で賑わう水沼駅に戻って受付を行い、ジュースのサービスを受ける。地べたに座り込んで靴下を脱ぐと、足指がふやけて左右同じところに4箇所づつ肉刺ができていた。荷物は預けてしまったし、そのまま靴下と靴を履いて最終区間へと進む。
 いよいよ最終区間16kmとなった。ここまで来たら這ってでもゴールする意気込みで水沼駅を出発する。筋肉の疲労は山歩きに比べても軽いような気がする。疲労で歩けなくなることは先ずなさそう。水沼駅での休憩中に疼いていた肉刺が最大の問題点。しばらく歩いていると気合が入ってきたせいか、痛みをさほど感じなくなった。力を振り絞ってスーピドをあげる。通常の6km/hの速度で歩いているつもりだが、どうしてもそこまでは上がらなかった(大会関係者から教えてもらう残り距離から判断する)。やはり疲労はしているのだと認識する。数人の集団を引っ張る形で桐生市街地にはいる。悲しいかな地理不案内で、ミスルートを恐れて集団の中に埋没する。集団から脱落する者はいない。誰もがゴールの喜びを胸に最後の力を振り絞っているのだ。関係者の案内で最後のコーナーを曲がると元宿集会所のゴールに辿りついた。43番目にゴールらしい。この順位はなんの意味もない。ただ単に43番目にゴールの手続きをしたということ。この大会を紹介してくれた山部さんが待ち受けていて記念写真を撮ってもらい喜びも一入。

6 大会について
 30年の歴史を誇る本大会も今回が最終回とのこと、残念でならない。主催者に苦渋の決断を余儀なくさせた理由があったのであろう。初めて参加してみて、この大会が30年も続いた理由の一旦が分かったような気がする。その最大のものは、主催者とボランティアの情熱と参加者の熱意があげられよう。気持ちよく歩くことができました。長い間ご苦労様でした。有り難うございます。
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