ひとり山歩き203 : 入山沢林道から日向倉山北稜線に取付き、次郎岳経由で荒海山まで歩きました。日向倉山稜線への取付き尾根はシャクナゲ薮、次郎岳直下は岩とかん木薮、次郎岳〜荒海山はかん木薮で大苦戦でした。これで念願の日向倉山から荒海山までつながりました。今日のルートは薮大好き人間にもお勧めできません。
入山沢林道から次郎岳(1560)〜荒海山(1581)
2005年5月26日(木) 晴れ/曇り
1行程
ルートマップ  (地形図 : 荒海山、五十里湖 各1/25000) 
自宅(1:55) = 入山沢/中ノ沢林道分岐(3:55/4:00) − 尾根取付き(入山沢林道)(4:45) − 標高点967(5:20) − 日向倉山北稜線出合(8:20/8:30) − 1382ピーク(9:45) − 次郎岳南鞍部(標高1350)(10:10) − 次郎岳(標高点1560)(12:30/12:40) − 荒海山(太郎岳)(14:50/15:05) − 町村界尾根分岐(16:50) − 荒海山登山口(17:15) − 八総鉱山跡(17:40) − 会津高原駅(18:45/19:55) = 中三依駅(20:10) − 入山沢/中ノ沢林道分岐(20:40/20:45) = 自宅(22:35)

2 自宅 − 入山沢/中ノ沢林道分岐
 5月29日は四年前に初めてひとりで山に登った(男体山)記念日である。週一の山行を目標に続けてきたが、その回数も200回を越し、無事4周年を迎える運びとなった。4周年記念として後々まで記憶に残る山歩きをしたいと考えた。昨年の4月26日に滝向山から日向倉山まで尾根を歩いた。その時に荒海山と日向倉山からの尾根に魅せられてしまった。既に日向倉山から途中までは歩いているので、記念の山行はその続きを荒海山まで歩いてみることにした。
 スタート地点をどこにするか迷った。厳しい薮が待ち受けているのでピストンは時間切れとなってしまうので省く。荒海山からは@通常ルートの八総鉱山跡付近に下山、A北東尾根を辿り高土山経由で下山、B北東尾根を辿り焼山沢に下山が考えられた。いずれのケースも中三依に戻ることになる。ならば入山沢林道から日向倉山北稜線に登ればよい。
 前日に確認してはいるが再度出発前にWebで天気予報を確認して、芝草山に登った時に車を駐めた入山沢/中ノ沢林道分岐を目指した。例によって例幣使街道、会津西街道で中三依へ走らせる。中三依駅口の先で橋を渡って左折して、入山沢沿いに道を2.3km進むと入山沢/中ノ沢林道分岐に達する。

3 入山沢林道 − 日向倉山北稜線  シャクナゲ薮と痩せ尾根のかん木に梃子摺る
 今の季節は4時ならかなり明るく、歩くには全然支障をきたさない。入山沢沿いの林道を尾根取付き目指して進む。10分程で民宿前からダート道になるが、よく管理された道で歩き易い。前方に荒海山が姿を現す。今日は絶対に荒海山まで歩くぞ、と自分を奮い立たせる。途中で林道右に東電鉄塔34号と35号そして左手に105号の巡視路を見る。送電線下を通過すると、先で右に下郷線102号への巡視路を見て橋を渡る。6・700メートル先で左からシャクナゲ薮(標高1300付近)の枝沢を渡り、その200メートル先で左手の尾根に取付く
 この尾根は広葉樹林で藪はなく歩き易い尾根であった。この調子なら日向倉山北稜線に2時間もかからず到達できるのだが、上部の痩せ尾根は薮が多いだろうな、と推測しながらの歩き。標高点967付近からアスナロの枝が多少煩わしくなる。登るにつれてアスナロにシャクナゲが混ざりだした。いよいよ薮さまのお出ましのようだ。シャクナゲの花やイワウチワの花を楽しみながら余裕を持って登れた。
 登りはじめて約1時間、標高1100辺りからは細尾根の急登で予想通りシャクナゲが前方を塞ぐ。超ど級の薮でないのが救い。標高1250辺りからは尾根は痩せて岩質になる。かん木薮が尾根上を塞いでいる。通るには薮は邪魔だが、これが裸の痩せ尾根だったら途中で帰ってしまっただろう。尾根上には大木の古株が残り、昔は樹木が繁っていたようだ。日向倉山北稜線が目前に迫ったが遅々として進まない。地形図での検討段階で予想していた痩せ尾根の薮が現実となってしまった。この枝尾根より更に北側の枝尾根を選ぶ手はあったが、いずれも痩せた部分はあり、大差ないだろう。4月18日に日向倉山から歩いた最終点の少し手前にやっと辿り付いた。スタートしてまだ4時間でスタミナを大部消耗してしまった。

4 日向倉山北稜線 − 次郎岳  次郎岳直下の岩登りに苦戦  厳しかった!!
 1380ピーク、1370ピークを越して標高点1382ピークまではシャクナゲ中心のかん木薮があるが、たいしたことはなく1時間15分で歩けた。シャクナゲとイワウチワを楽しむ余裕があった。遠めにはシロヤシオか次郎岳(1382P付近から)と勘違いさせるタムシバが所々で咲いていた。
 更に1360ピークを通過した次郎岳南鞍部からは膝ないし腰丈の笹とかん木の混成薮が増え、勾配がきつくなってきた。時には岩が立ちふさがり斜面を巻くのに労力を要した。標高1430で一旦勾配が緩やかになると薮は益々深くなってきた。超ど級の薮でないのが救いだが、益々予定時間よりも遅れる。標高1500を越すと斜面は垂直ではと錯覚するほどの急勾配となる。登るにつれて岩が露出してきた。岩の裂け目に付い荒海山稜線たかん木を伝って攀じ登るのだが、裂け目を見つけて横移動するのにかん木の枝を乗り継いだりあるいは潜ったりせねばならない。そのたびにザックが枝に引っ掛り身動きが取れなくなる。その都度もがいて脱出する。かん木が多いので滑落の危険性が少ないのが救い。30分程岩場で奮闘したら勾配がやや緩やかになり、右手に荒海山への稜線が見えたので休憩をかねて写真を撮る。日留賀岳、高原山、日光連山が展望できるのだが、あいにく霞んでいた。更に10分の奮闘で次郎岳(標高点1560)の頂上に辿り付いた。頂上といっても胸丈のかん木の中で座って休むこともできない。全展望で栃木側は霞み、福島側は展望が利くのだが山座同定している余裕はない。
 計画より2時間ばかり遅れてしまった。この先どうするか小考休止。@西隣の1530ピークまで行き、芹沢に下る。A荒海山まで約2時間として、通常の登山ルートを辿り八総鉱山跡経由で会津高原駅まで歩く。@は小一時間の密薮こぎがあり、林道を延々と歩くのはいやらしい。Aの2時間の薮漕ぎの方が楽と判断した。この時点で荒海山の北東稜線歩きは論外。

5 次郎岳 − 荒海山  かん木と笹薮は連続  疲労で握力が衰え薮漕ぎに苦労
 次郎岳から見ると荒海山へは距離も短く標高差が少ないので簡単そうに見えるが、薮は密に見える。荒海山までに4時間かかっても、会津高原駅の終電には充分間に合う。焦る必要はないと自分に言い聞かせて次郎岳を下る。次郎岳の南斜面のような厳しさはない。かん木を伝って鞍部に下る。4月18日の日向倉山から荒海山と薮 (1550Pから)の尾根歩きで、日向倉山稜線上の「角」と錯覚した岩峰が目の前に聳えているが、ここは左手を巻いて尾根上に出る。尾根上のかん木と笹薮は密であるはあるが、背も低く超ど級というほどではない。
 尾根上には結構岩が多く、その都度左下を巻いて通過した。トラバースすると尾根上に復帰するのに労力を要した。岩はそれ程大きくないのだから乗り越えればよいのだが、岩が苦手で避けて通る。多少アップダウンを繰り返し、前方にピークが見えた。荒海山は間近と思ったら、それは手前の1550ピークだった。かん木は高くないので展望は利くのだが、景色を楽しむ余裕は全然ない。それどころか今まで腕力を酷使してきたので、疲れで握力がなくなってっしまった。身体を引き上げるために薮を掴むのだが力が入らない。腕力が使えないので足取りは益々遅くなる。かん木に混ざる蔦に体が掴まり、振り解く仕事まで増えてしまった。家に帰って風呂に入ると両腕にもそのときで北擦過傷が目立った。
 荒海山山頂にたどり着くのに2時間10分要した。これで最悪の山頂直下の小屋泊まりは回避できた。栃木側から荒海山に登るについてはいろいろアドバイスを頂いた山部さんの山名板を見て安堵感からか山頂に座り込む。小休憩で疲れから回復し360度の展望を楽しむ。栃木側は今日はかすんでよく見えない。会津の山はまだ白い。5月1日の山王峠から高土山まで歩いた時に見た七ケ岳が目に写る。いつかは登ってみよう、とデータベース(記憶)におさめる。東峰(ここも次郎岳を呼ばれる)には行く気力が湧いてこない。いつの日にか県境尾根を縦走する時に東峰を通るので勘弁してもらう。

6 下山  カモシカ(荒海川沿い道路にて)
 暫時の休憩で疲れも回復して、会津高原駅の電車の時刻を確認して下山にかかる。18時31分発にひょっとしたら乗れるかと欲を出す。3時間半足らずしかないが、一応の目標として抉れた道を下りだす。標高1360くらいのところをダラダラとアップダウンして高度がいつのなっても下がらないのにイライラする。さすがに脚が伸びず町村界尾根道標まで予想以上に時間がかかってしまった。18時31分発はムリのようだ。道標からの下りはロープを伝って沢下りもあるのでダラダラ歩くよりは楽だった。登山口からは林道歩きとなる。八総鉱山跡辺りになると道はよく整備されていて歩き易い。お得意の平坦路歩きだが、5.7kmを50分で歩くのは難しい。諦めムードとなる。結局15分遅れで会津高原駅に着いた。次の電車まで1時間10分待って、中三依駅に戻り。更に入山沢/中ノ沢出合の駐車地まで歩いて戻った。 

7 後記
 一年越しの念願であった日向倉山から次郎岳経由で荒海山まで尾根を歩く、という願望は二回の山行で達成できた。荒海山山頂にたどり着いたら、さぞや喜びは大きいであろうと考えていたが、実際には喜びはそれ程でなかった。薮漕ぎばかりで尾根歩きの楽しみ(思わぬところでの展望とルーファンを楽しむ)から逸脱しているせいであろうか。
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