ひとり山歩き192 : 粟野町の上永野山口から粟野/葛生町界尾根に登り、不動岳まで歩いてきました。復路は不動岳の北東に位置する雷電山から上永野落合集落に下山しました。特に危険な所はありませんが、展望もあまり期待できません。祠は多くあり、昔の山岳信仰の名残はありました。
上永野山口から不動岳(664)〜雷電山(613)
2005年3月14日(月) 晴れ
1 行程
ルートマップ  (地形図 : 中粕尾、仙波 各1/25000)  
自宅(5:50) = 上永野山口BS(6:35/6:45) − 尾根取付き(林道分岐)(7:00) − 533ピーク(7:50) − 町界尾根590ピーク(8:15) − 615ピーク(8:20) − 613ピーク(8:40) − 610ピーク(9:05) − 枝尾根589ピーク(9:20/9:30) − 610ピーク(9:45) − 不動岳(10:50/11:05) − 雷電山(613ピーク)(11:30/11:40) − 上永野落合尾出山神社(12:25) − 山口BS(12:55/13:05) = 自宅(13:50)

2 自宅 − 山口BS
 3月7日の千部ガ岳〜三峰山に引き続き、粟野/葛生町界尾根を不動岳まで歩き、三峰山・不動岳・尾出山・氷室山へと連なる稜線の全踏破を完了させる。前回ルートの再西端の615ピークには粟野町の上永野山口からスタートすることにした。
 栃木市から県道32号で上永野を目指す。栃木市の尻内からバイパスが開通しているので、ダンプ街道を通らないですむのは有り難い。永野ゴルフ倶楽部入口先1.5kmで、永野川に架かる山口橋を渡ったところが山口バス停で、付近の路肩に車を駐めた。

3 山口BS − 町界尾根615ピーク  特に危険箇所はない 途中に抉れた道跡533ピーク南鞍部の石祠と石祠
 山口橋の袂から南西に林道を進むと、約15分で林道が分岐する。ここから533ピークに向かう尾根に取付く。間伐材をぬって尾根に取付くと、勾配は急だが獣道があり歩き易い。尾根筋は植林と自然林が混ざり、左手に高谷山、右手に不動岳への町界尾根が枝越しに伺える。尾根を南東に登り詰めると533ピークで、東側は植林、西側は自然林で男体山・女峰山あたりがうかがえる。
 このピークから南に下ってゆくと鞍部付近で抉れた道跡が残っている。案の定、鞍部に東向きに二体の石祠が祀ってあった。弘化四年(1847年)に上永野村が祀ったものらしい。山肌からは雪はすっかり消えていたが、今日は気温が低く風も冷たい。登りに疲れると振り返っては日光連山や横根山を眺めながらノンビリ登る。今日の行程は6時間程度と短いので先を急ぐ必要はない。抉れた道跡を登って行くと町界尾根の590ピークに辿り着いた。前回はここから東に辿り寺坂峠経由で三峰山まで歩いた。今日は東隣りの615ピークへと向かう。先週は積雪が10cm以上であったが、雪は痕跡も残っていなかった。
 
4 615ピーク − 不動岳  展望はよくない  踏跡が続き歩き易い 
 615ピークは前回の歩きで千部ガ岳から登ってきたピークで、南側は植林、北側は自然林だが展望はない。このピークから不動岳までは未踏部分で、高原山探訪のYoshiさんの報告を参考にした。
 植林と自然林の境界を緩やかに3分ほど下ると、山ノ神の祠が南西向きに祀ってあった。大釜講中が嘉永七年寅年十一月(1854年)にが祀ったようである。付近には一升瓶、ジュースビンがが纏めて捨ててあった。祭事に使ったものでなく山仕事の休憩後放置されたものであろう。
 祠から先は自然林でツツジが若干煩いが、勾配は緩やかでノンビリ歩ける。鞍部では道跡らしい溝が横切っていた。左は植林、右は自然林の尾根を緩やかに登り返すと613ピーク。特に展望が良いわけではないが、男体山、女峰山、高原山がうかがえる。次のピークを目指すと左手(西)に明瞭なピーク(589)が枝越しに伺えるよう不動岳山頂になった。このピークはYoshiさんが注目していたので、代りに寄ってみるつもり。589ピークへの尾根筋を見逃さないよう左手に注意しながら登ると610ピークに着いた。北西部が開けて大鳥屋山、岳ノ山から氷室山につながる稜線が一望できる。
 一旦縦走稜線に乗ってしまうと、滅多に枝尾根には脚を伸ばさないのだが、今日は行程が短いので南に数百メートルの589ピーク探訪に出かけることにした。610ピークから南に派生する尾根はヤブっぽいが薄い踏跡は認められる。鞍部に破損した山ノ神の石祠が東向きに祀ってあった。数名の個人名が彫ってあるようだ。鞍部からほんの僅か登り返すと広い山頂部に着いた。このピークが探訪にきた589ピークだが、期待に反して山頂には何もなかった。落葉樹林で明るく日当たりも良いので、岳ノ山を見ながらエネルギー補給をする。589ピークの北側鞍部の祠は何を意味するのだろうか。615ピーク付近にあった山ノ神同様に大釜集落が祀ったものか。祠は山頂にあったり、鞍部にあったりする。その違いはなんなのだろうか。
 610ピークに戻って再び町界尾根を不動岳目指して進む。左手(南)が幼木帯のためツツジのブッシュが多少煩い。鞍部で左手に大鳥屋山と岳ノ山を見て岩場の登りになる。巻いたり直登したり通過に約10分かかった。落葉の急斜面を登ると630ピークで、やっと不動岳が捉えられた。北東に不動岳と同じ程度のピークが見え、その右肩に小さなピークが見えた。これが雷電山(613ピーク)で復路に辿る予定だ。615ピークからはヒラヒラリボンがかなりの数付いてたが、このあたりには4種類のテープ類が賑わっていた。植林の鞍部から登り始めるとまたもや南向きの石祠を見る。文化三年三月(1809年)、願主 ○○武七と読めた。
 石祠の先からは這うように急登して手前の小ピークを越すと待望の不動岳山頂である。三等三角点と達筆標識を見る。以前来た時にあった2枚の山名板はなくなっていた。山頂は落葉樹のため展望は枝越しになってしまう。岳ノ山から氷室山に連なる稜線が伺える程度。不動岳といかにも宗教色の強い名前だが、祠類がないのは残念。

5 下山(雷電山経由)  山頂直下と着地が急勾配  単調な尾根で迷うことはない雷電山の祠
 不動岳から塩沢峠の間は既に歩いているので、今日は北東の613ピーク(雷電)経由で上永野落合の尾出山神社付近に下山することにした。不動岳からは雷電山は手前のピークが邪魔になって見えない。それで寄る人が少ないのか、Webには下野新聞社の「ふるさと再発見 栃木百名山」に記載があるだけ。
 不動岳山頂から30メートル程北に進むと北東に枝尾根が派生している。ちなみに塩沢峠への主稜線は北西に伸びている。北東に下ってゆくと三峰山と谷倉山が枝越しに確認できる。尾根には薄い踏跡が続き歩きづらいことはない。手前の640ピークを越すと、鞍部はヤセ尾根だが特に不安感はない。登り返したピークが雷電山上永野落合から見た雷電山613ピーク)で枯れて倒れそうな大木の根元に石祠とステンレス製の小さな鳥居が祀ってある。安永九年(1878年)、渋垂、黒麦、塩沢等の集落名が彫ってあった。由緒のある祠に対してつい最近設置したと思われるステンレスの鳥居はミスマッチで興ざめ。
 雷電山からは北の落合集落に向かって枝尾根が派生している。この尾根筋は単調で間違うことはないが、雷電山直下と落合への着地付近が急勾配で樹木を伝わりながらの下山となる。これだけ急な尾根を登るのは難しいので、地元の人はジグザグに登るルートがあるのだろう。最後まで尾根にこだわって下ると長寿院の左(西)側に辿り着いた。橋を渡って林道に出ると、天照皇太神社続いて県道32号出合の尾出山神社に到着した。振り返ってみると、雷電山が目に付く。地元から信仰の対象になるのが頷ける。
 
尾出山神社からは例によって県道32号の舗装道を歩いて駐車地まで戻る。 
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