ひとり山歩き188 : 星野自然村から谷倉山に登り、尾根伝いに高谷山まで歩いてきました。尾根筋にはヤブあり、展望あり、祠ありと変化に富んだ面白いコースでした。高谷山南側の鞍部付近は岩場もあり注意が必要です。
星野自然村から谷倉山〜高谷山
2005年2月12日(土) 晴れ
1 行程
ルートマップ  (地形図 : 下野大柿、仙波、中粕尾  各1/25000)  
自宅(5:30) = 星野遺跡駐車場(6:15/6:25) − 星野自然村(6:40) − 梵天見晴台(6:50) − 493ピーク(7:30) 谷倉山(7:50/8:00) − 465ピーク(8:25) − 440ピーク(9:10) − 大越路峠(9:30/9:35) − 三角点393.3ピーク(9:50) − 祠の岩峰(10:00) − 小越路峠(10:10) − 伐採地(10:25) − 435ピーク(11:00) − 三角点435.8ピーク(沢坪山)(11:20/11:25) − 伐採地(11:30) − 433ピーク(12:10/12:20) − 高谷山南鞍部(13:05) − 高谷山(13:25/13:45) − 南鞍部(14:00) − 県道出合(宇田橋)(14:35/14:40) − 星野遺跡駐車場(16:15/16:25) = 自宅(17:05)

2 自宅 − 星野自然村
 今回は粟野町/葛生町境界尾根の未踏部分である谷倉山から高谷山を歩くのが目的。星野自然村から谷倉山に登るべく、国道293号尻内から県道32号のダンプ街道で星野町を目指した。早朝にもかかわらずダンプはもうひっきりなしに走行していた。帰りに気付いたのだが県道32号はバイパスが開通していた。これからはダンプ街道を通らなくてすむようになった。県道に最も近い星野遺跡公園駐車に車を駐める。

3 星野自然村 − 谷倉山  植林の尾根は多少のヤブがあるも楽に登れる 
 遺跡公園駐車場から星野自然村のキャンプ場を目指す。キャンプ場から東への作業道を進むみ途中で尾根に取付く。尾根上で東に梵天見晴台の標識を見て、多少ヤブ混ざりの植林の中を東に登って行く。南西方面が切れた所に梵天見晴台の小さな標識が落ちていた。ここからは三峰山と星野集落が伺える程度。
 谷倉山から南に伸びる主稜線に対して直角に交わるこの枝尾根には多少のヤブが生えているが、薄い踏跡もあり困難を伴うような箇所はない。左手に谷倉山のアンテナ塔を樹間に見ながら主稜線に辿り着いた。主稜線出合から次の493ピークまではブッシュに多少悩まされたが、493ピークからは手入れの行き届いた植林でヤブはなくなった。493ピークから谷倉山までは昨年の1月5日に歩いていて状況を知っているのでノンビリと山頂に向かう。ひと歩きでアンテナ塔のある谷倉山の山頂に達した。
 前回は三角点が見つからなかったが、今回はアンテナ塔の西側のヤブの中にすぐに見つかった。そばの立木に達筆標識をみる。山頂北側の粟野町の小アンテナ付近からは日光連山が枝越しに見える程度。山頂は大きなアンテナ塔に占領されてしまいあまり居心地の良い所ではない。

4 谷倉山 − 大越路峠  ピークでは踏跡入り乱れるので要注意 大大越路峠の石碑越路峠の芭蕉(?)の句碑読めない!
 右手に男体山を垣間見ながら谷倉山から西に下る。尾根筋は植林と自然林が入り混じっているが踏跡は明瞭で歩き易い。今日は指先が痛いくらい気温は低い。帽子に手を当ててみると汗が凍っていたが、風はないので寒いという感じはしなかった。鞍部付近に地形図の破線に該当する道跡が残っていないか注意していたが見つからなかった。登り着いた標高点465ピークはクヌギと潅木の小ピークで後方に谷倉山のアンテナ塔が見える程度。
 このピークからはブッシュが多少煩い潅木地帯北西に小ピークを四つ越すと標高点440ピークである。尾根筋には頭を赤く塗った1m程度の木杭が打ってあり、踏跡も明瞭。440ピークからは北東にも踏跡は認められた。この尾根筋は全般に踏跡が続き歩きやすいが、ピーク付近では他の踏跡に引きずり込まれるので地形図を確認することが肝要。植林の中を西にアップダウンを繰り返しながら下ってゆくと左下に県道が見え隠れするようになり、直ぐ先で大越路峠に辿り着く。ここを県道32号栃木粕尾線が通っているが、昭和38年に開通したとのことである。現在は東屋が設置してあり、三峰山方面が展望できる。昔は交通の難所であったらしく、県道竣工記念碑、道祖神と芭蕉(と思う)の句碑が賑わっていた。残念ながら芭蕉の句は達筆すぎて読めない。本人の直筆ではないのだから、もっと読みやすい書体にしてほしいものだ!!

5 大越路峠 − 高谷山  古い峠跡、石祠、展望そして適度のヤブと変化に富んだコース
 句碑の横から尾根に取付くと直ぐ先で石碑を見かける。天保九年(1838年、大塩岩峰の祠平八郎の乱の前年)だけしか読めず、何の石碑だか不明。県道の切通の上に相当するので昔はこの辺りに峠道があったのであろう。植林を北西に登ると粟野町農村情報連絡用のアンテナの設置してある小ピークに達する。ここが三角点393.3ピークでアンテナ施設のフェンス横に三角点が頭を少し出していた。男体山と横根山辺りを枝越しに見ながら西に進むと尾根筋は岩っぽくなり、岩峰に二体の祠が祀ってあった。残念ながら一体は破損していて、時代もわからなかった。尾根の北直下は下粕尾(大越路)、南直下は下永野(沢坪)と集落から近いが里人が祀ったのでなく、足場の悪い所を選んでいるので修験道に設置したのものと考えたい。
 岩峰から北に急降下した鞍部には明らかに峠道とわかるV字溝が尾根を横切っている。溝の傍に大きな石碑があり、小越路峠と大正4年が読めた。南西の沢坪集落から発してこの峠を越して大越路峠の北で(現在の県道に)交わって下粕尾に下る道があったものと思われる。
 小越路峠から北に登り返すと伐採地に達する。北側は開けていて、日光連山を中心に右手には高原山、左手には足尾の山が展望できる。眼下には中粕尾の集落が広がっている。暫し伐採地に沿って景色を楽しみながらの歩きとなる。ヤブっぽい所を緩やかにアップダウンすると、潅木の標高点435ピークを通過する。この小ピークの先でやっと今日の最終目的であ小越路峠(石碑と峠道)る高谷山を捉えることができた。踏跡の明瞭な植林を二つの小ピークを越して北西に進むと、三角点435.8ピークでここには沢坪山という山名板がかかっていた。沢坪は上永野の集落名であり地元では沢坪山と呼んでいるようである。西に不動岳、北西に高谷山が確認でき、石倉山から地蔵岳辺りの山が展望できた。
 沢坪山の北西隣りの440ピーク付近は北側が伐採地で日光連山を中心に展望が楽しめる。期待していなかった景色を楽しみながら伐採地を進むと、良いことばかりは続かない。今日一番の密ヤブ地帯に突入し、方向を定めて鞍部に下った。鞍部からも暫くはヤブ歩き、次いで植林に入ると間伐材に悩まされた。左(南)から尾根を合わせると標高点433の小ピークで、このピークには2003年3月19日に島田沢沿いに登って来た懐かしい所である。ここからは高谷山の先まで歩いたことがる。ここから下山しても谷倉山(星野)・高谷山・谷倉山(粟野)・氷室山・地蔵岳までの尾根は開通したことになる。時間も体力もタップリ余裕があるので、計画通り高谷山まで行くことにした。地形図にはこのピークに破線が通っているが、道型の形跡すら発見できなかった。
 490ピークを越して高谷山手前の540ピークへの登りがきつくて閉口した。復路日光連山を望む(伐採地から)  画面下は粕尾集落はこのピークから南に派生する枝尾根を下る計画であり、観察して鞍部に下ってゆく。鞍部が近づくと足場が悪く嫌な雰囲気。前回はどうやって下りたのか記憶にない。ザックの底に忍ばせているロープを思い出し、これを利用して下った。ロープを利用したのは初めてだが、楽々と下りられた。横着だからしまうのが面倒で使ったことがなかったが、安全で楽なことを知ってしまったので今後の活用が増えるかもしれない。
 鞍部からの登りも気持ちよいところではない。大岩の左をまいて登るのだが、復路の下りが心配。433ピークから下山してしまえばよかった、と思うが後の祭り。ロープもあるしなんとかなるだろうなど、と考えながら恐る恐る大岩の上に辿り着いた。岩頭には前回は気付かなかった石祠が祀ってあった。安政三辰十月吉日と彫ってあった。【安政三年は西暦1856年で、アメリカ総領事ハリスが下田に着任した年である】
 大岩からひと登りでやっと高谷山の頂上に辿り着いた。山頂には三角点と石祠を見る。南東の谷倉山を眺めると、アンテナ塔がはっきり確認でき、谷倉山の左肩に筑波山が望めた。山頂は二回目ということもあって感激はない。前回は北西に谷倉山(粟野)を目指したが、今日は途中まで往路を辿るので、山頂からの下りと、鞍部からの登りが気になって落ち着かない。

6 下山  高谷山南鞍部から谷を下る
 南鞍部への下りは岩や立木に掴まりながら、心配したほどのことはなく無事下れた。鞍部からの登り返しはきつそうなので、計画変更でここから西の谷を下ることにした。極楽蜻蛉さんも山部さんもこの谷を下っているので、何とかなるだろう、と意を決して谷を下り始める。植林の中の谷筋にはそれ程危険な所はなかったが、途中の3m滝の右岸を巻いて通るのに多少の注意が必要であった。この滝から先は作業道を下ることができた。最終的に県道199号に架かる宇田橋に辿り着いた。
 あとは県道199号を歩いて星野遺跡駐車場までもどった。10数分待てば粟野町営のバスに乗れたが、8km強の舗装路歩きなら苦としない。歩け歩け!! 体重減にいいぞ!! 
 これで大倉山・谷倉山・高谷山・谷倉山・氷室山・地蔵岳まで貫通した。踏破5号と仮称しよう。最終的にはどの尾根も日光までつながれば一応県南部は尾根全踏破は完了となるが、先はまだまだ遠い。
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