ひとり山歩き184 : 寺久保山の西に位置する鳥居印のピーク(山王山)から赤雪山までの尾根歩きの第一段として、山王山・須花坂峠・名草山・浅間山を経由して475ピークまで歩いてきました。この尾根筋には石祠と旧峠道跡が何箇所かで見ることができました。須花坂峠では明治、大正、昭和の三トンネル見物、名草山から浅間山は遊歩道歩きを楽しめました。
尾根伝いに赤雪山へ(その1) 山王山〜名草山〜浅間山〜
2005年1月14日(金) 晴れ
1 行程
ルートマップ (地形図 : 田沼、足利北部、番場  各1/25000)  
自宅(5:30) = 下彦間大網橋(6:30/6:40) − 大網峠(仮称)(7:15/7:20) − 山王山(7:35/7:45) − 標高点258(8:05) − 標高点264峰(8:40) − 須花坂峠(8:50) − 須花トンネル見物(8:55/9:05) − 鎧地蔵尊跡(9:10) − 名草山(三角点258.3)(9:20/9:25) − 岩割桜・屏風岩(9:40) − 浅間山(9:45/10:10) − 標高点369峰(10:25) − 標高点419峰(10:50/10:55) − 標高点449峰(11:25/11:35) − 標高点475峰(12:30/12:45) − 林道出合(13:25) − 塩田(県道出合)(13:35) − 足利新道口(田沼分岐)(14:05) − 大網橋(14:35/14:45) = 自宅(16:05)

2 自宅 − 大網峠
 1月3日に初歩きで大小山から大坊山・寺久保山と尾根歩きをした。その時に寺久保山の西に位置する鳥居印のピークが気になり、このピークから赤雪山まで歩いて見ようという気になった。Webで調べてみると、HP「気ままな男の山歩き」の赤城良常さんが鳥居印のピーク(山王山)から赤雪山まで尾根歩きを報告しているのが見つかった。石祠、旧峠道跡、須花トンネルありで興味が惹起され早速実行することにした。この季節に一回で歩くにはタイトなので二回に分割することにした。
 第一段階として、山王山から名草山・浅間山経由で標高点475ピークまで歩くことにした。山王山への取付きは田沼町大網と足利市樺崎町を結ぶ大網樺崎線の足利/田沼境界の大網峠(仮称)から取付くことにした。車の回収に便利なのように大網樺崎線の入口の大網橋袂に車を駐めて、往来のない舗装道を峠目指して歩いた。ヘアピンカーブのあたりになると廃棄物が目に付きだした。「廃棄禁止」の看板との競争。日本人の公徳心の低さが分かる。自分の家の玄関に捨てる人はいないのだが・・・   寺久保山上に太陽が昇るとすぐに大網峠(市町境界)に登りつめた。

3 大網峠 − 山王山  山頂には日枝神社があったらしい  山王山の由来が理解できた山王山の石祠
 市町境界部はコンクリートで法面が固めてあるので、30mほど手前のコンクリートの切れた所から斜面に取付いた。伐採地の間は小薮が少しばかり煩かったが、すぐに植林の尾根筋に辿り付いた。尾根には踏跡がジグザグに山頂へ伸びていた。これは獣道でなく、山頂にあったと思われる神社への参拝道の名残のように思われる。取付きから10分ほどで樹木が疎らでススキが伸びている山頂部に登りついた。前方に見える電波反射板を目指して歩いていると、ススキの中に石祠が見えた。傍らに日枝神社、山王山と書いた木板が立ててあった。地形図に鳥居印が記載されているのが理解できた。以前はここに日枝神社があったのだ。山王山と呼ばれる理由も分かった。
 須花坂峠に向かうには、北の尾根に乗らねばならない。スズタケと潅木で全く北側が見通せない。様子を探るために反射板の方に進むにつれてやや高くなっているようであった。ピークの北西部まで進むと北に向かう尾根筋がヤブの間から伺えた。同じように尾根筋を探した人がいたようで、僅かな残雪に右往左往する足跡が残っていた。

4 山王山 − 名草山 − 浅間山  石祠、旧道跡など昔が偲ばれる  多少の笹ヤブはあるが踏跡あり
 反射板側に少しばかり戻ってスズタケと潅木のヤブに突入した。注意しながら進須花坂峠 旧道(左上) 明治トンネル(右上) 大正トンネル(左下) 昭和トンネル(右下)むと藪の中に踏跡状の筋が走っている。この筋を追うと細尾根に乗ることができた。県北の山を経験するとこの程度のヤブはものともしなくなる。小さな岩のある所を通り過ぎると、前方に日光連山が見えるようになった。更に、浅間山、白根山、赤城山も枝越しに伺えた。時には植林となるが大体において自然林で獣道というよりは踏跡が続いている。スズタケや潅木が断続するが、歩くのに障害になるほどではない。右下に集落を見て右から尾根を合わせると標高点258の小ピークを通過する。
 鞍部から次の270ピークに登って行くと石祠が祀ってあった。標高300m前後のこの尾根筋もやはり信仰の対象だったのだ。鞍部付近にU字型の道型が尾根を横切っていた。これは地形図の破線に合致しているようである。今日歩いた範囲では地形図の破線5本に対して道型が認められなかったのはたった一箇所であった。モータリゼーションが発達する最近まで足利市名草側と田沼町彦間側との重要な連絡路であったことが伺える。鞍部から登り返すと標高点264の小ピークに達した。残念ながら赤城良常さんが写真付きで報告している地蔵尊と観音像を見逃してしまった。浅間山山頂
 次の小ピーク(230)を通過すると左下に県道が見え出した。V字型の須花坂峠の旧道のある鞍部に辿り付いた。標示はなかったが、破損した道標に手書きで「峠」と記入してあった。先の階段を登ると名草山、左下は県道208号で車の往来は多い。右の旧道へ進むと直ぐ先に須花坂湿原の看板があり狭い湿原が目に付いた。更に階段を下ると、入口が金網でブロックされたトンネル前に下りついた。大正6年完成の通称大正トンネルである。次いで昭和52年完成のトンネルが昭和トンネルで足利市と田沼町を結ぶ要路になっている。県道から南に進み、明治14年から22年にかけて手掘りで掘った明治トンネルを見物した。今日は尾根歩きに加えて須花トンネルの社会科の勉強もさせてもらった。
 大正トンネルから階段を登って須花坂峠に復帰して、更に階段を登ると鎧地蔵尊跡の標示があったが、説明板の文字がかすれていて由来は分からなかった。植林の手摺のある階段を急登すると名草山の頂上に達する。三角点と道標があるだけで特に展望もない。
 整備された道を進むと直ぐ先の鞍部が江保地坂の道標がある。昔の峠跡かと思われる。登り返すと途中に新しい石祠が祀ってあった。祠の正面に賽銭が結構多かった。途中で「野鳥の尾根」の標示部を過ぎると、正面に大岩(屏風岩)と岩の中に伸びている岩割桜とに達する。屏風岩の上からは南側が開けていて、眼下には下彦間周辺が広がっている。例によって雲に浮かぶ筑波山も見えた。屏風岩のあたりが標高点345のピークであるが、浅間遊歩道が更に東へ進むように促している。標高点345ピークの東端が浅間山で屏風岩よりも更に展望が開けていて山頂には石祠が祀ってある。。条件がよいと東京の高層ビルまで見通せるらしいが、今日は遠方は霞んでいて残念な思いをさせられる。それでも富士山は姿を見せてくれた。反対の北側は樹林で男体山が枝間にうかがえた。

5 浅間山 − 標高点475ピーク  440ピーク付近に危険箇所あり 他は踏跡もあり
 浅間山から屏風岩に一旦戻り、西に進路を変えて植林を下る。山王山から須花坂峠までと同じ程度の踏跡は認められる。空缶や赤テープも時々見かけるので、林業関係者かもしれないが尾根歩きをする人は結構いるようである。例によって鞍部にU字型の旧道跡を見て、リョウブ、ツバキ科の樹木と笹の尾根を登り返すと標高点369ピークで前方に次の目標である419ピークが望めるだけ。
 次の370ピークから浅間山(火山の)と足利の深高山を見ながら下ってゆくと鞍部でまたもや旧道跡が尾根を乗越していた。右手にツバキが花を開いていた。標高点419ピークの直下に石祠が祀ってあった。尾根の踏跡といい、鞍部に乗越す旧道跡といい山岳信仰臭がプンプン(?)する。北東に特徴のある尾出山と大鳥屋山を見ると標高点419ピークに達した。前方に男体山が辛うじて認められた。左右の下に集落が見られた。今まで書かなかったが集落は処々で見ることができて不安感は全くない。もっとも今までのところは間違うような所もなかったし、危険な所もなかった。今日歩いてきた稜線は禁猟区になっているので安心して歩ける。右下のほうから消防車のけたたましいサイレンの音が聞こえたりして、浮世に引き戻されてしまうのが難点だが。
 今日の最終点の475ピークは手前のピークが邪魔して見えない。標高点419ピークから一旦449ピーク鞍部の旧道下って420ピークを通過する。鞍部付近は小枝が少しばかり煩かった岩稜をアップダウンすると標高点449ピークに着いた。前方に白根山、男体山、大真名子山、女峰山が山頂部はガスに隠れているが展望できた。尾出山と大鳥屋山も直ぐに分かった。
 449ピークから北西に岩稜を進むと左手が開けて関東平野が一望できる岩ピークに辿り付いた。進むべき稜線が見えなくなってしまった。449ピークで方向を間違えたかと一瞬思う。間違うような尾根筋ではない。岩ピークの先端に進んでみると急降下が待ち受けていたのだ。斜面は岩混じりで、慎重に樹木に掴まりながら鞍部まで下った。今日のコースで危険を感じたのはここだけであった。鞍部にはやはり道型が残っていた。鞍部からは今までと同じような踏跡が続いていた。440ピークを越してスズタケや小枝の間を登って行くと今度は右下から救急車の音が聞こえた。植林を西に登って行くと左(南)から尾根を合わせた。複数の赤テープが認められた。どうやらこの尾根を登ってくる人もいるようだ。ひょっとしたら、次回に赤雪山まで歩くときには自分もお世話になるかもしれない。方向を北に戻して地形図に破線のある鞍部に下ると、ここには道型は認められなかった。鞍部から数分登り返すと植林のピークに登り着いた。ここが今日の最終である標高点475ピークである。次回に登ってくる予定の尾根が南西に派生している。これから下山に使う尾根は北北東に伸びている。男体山、横根山、尾出山を枝越しに眺めながら昼食を摂る。

6 475ピーク − 塩田 − 大網橋 
 標高点475ピークから塩田に向かう尾根筋は殆ど植林であり、勾配も適度でノンビリと下ることができる。330ピークは小ピークで東北側が伐採地で塩田付近の集落と東に石尊山(地形図の536)が急峻な姿をさらしている。このピークから方向を変えて南東に枝尾根を下り、林道まで下って、県道66号の塩田集落にでる。ここからは県道を歩いて、足利新道口(田沼分岐)を経由して大網橋に戻った。大網橋手前で山王山と寺久保山を写真に撮る。 
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