ひとり山歩き167 :板室側から塩那道路を歩いて鹿又岳と男鹿岳に登ってきました。塩那道路はまだ補修が行われていて、ヘッドランプを頼りに早朝の暗闇でも問題なく歩けました。夜が明けてからは間近に見る那須連峰が印象的でした。前回間違えた鹿又岳の山頂を無事踏み、男鹿岳山頂で「栃木の山全山踏破」の山部さんに出会えたのは何よりの喜びでした。
塩那道路を歩いて鹿又岳(1817)と男鹿岳(1777)に登る
2004年9月19日(日) 曇り/晴れ一時雨
1 行程
自宅(0:05) = 塩那道路板室ゲート(1:50/2:05) − 見晴台(4:00/4:10) − 月見曲(5:50/6:00) − 男鹿岳取付き(7:05/7:20) − 記念碑(7:35) − 鹿又岳取付き(〜鹿の又坂)(8:10/8:45) − 鹿又岳(9:05/9:10) − 鹿又岳取付き(9:20) − 記念碑(9:45) − 男鹿取付き(10:00/10:15) − 男鹿岳(11:35/12:00・・・記憶による) − 男鹿岳取付き(12:40/13:05・・・記憶による) − 月見曲(13:45) − 見晴台(15:00/15:10) − ゲート(16:55/17:05) = 自宅(19:30)

2 自宅 − 塩那道路板室側ゲート
 塩那道路は正式に建設中止が決定された。今後は荒れはてた廃道になる運命にある。道筋がしっかりしているうちに塩那道路をゲートからゲートまで歩いてみたいと考えた。その第一歩として9月1日に、塩原側から歩いて長者岳と鹿又岳に登った。登頂したと思った鹿又岳は、実際には南隣の1846ピークであることが指摘された。今回は、板室側から塩那道路を歩いて鹿又岳と男鹿岳に登ることにした。
 今回は日帰りピストンということで、荷物を最小限に絞った。それでも万一のビバークを考えると飲料水と食料が増えるのはやむを得ない。午前中に登山を完了し、明るいうちに板室に戻りたい。塩那道路は夜間でも懐中電灯の光で安全に歩けると考えて、2時に板室ゲートを出発目標で家を出る。県道189号板室温泉線から、[この先3.1km先ゲートあり通行禁止]の看板を見て塩那道路に入る。登って行くと、霧がひどくなる。歩くのは霧があっても問題ないが、自動車の運転は怖い。スロースピードでゲートに着くと、先着の車が駐まっていた。登山者か釣り人かは不明。 
3 塩那道路往路  道路はよく整備されているので夜間でも支障はなかった那須連峰(那須見台付近から)
 ゲートの下を潜って舗装道を歩き始める。霧はかなり濃そうだ。ランプの光が乱反射して見づらいが、歩くには支障がない。退屈しのぎにラジオを聞きながら歩く。ゲートから30分程でダートに変わる。窪みも少なく、落石もない。塩原側同様によく管理されている。通行禁止だから補修する必要がないのではと思うが、途中の三四箇所に重機が停めてあり補修工事中であることが分かる。補修工事の車両を通すために道路を補修しているのでは、と大変失礼な勘繰りをする。
 途中要所に場所と距離を書いた標識が設置されているが、幾つかは見逃してしまった。標識から距離がわかるので、歩いている方向を磁石で掴むとどの辺りを歩いているか大体が把握できる。登り一方ではない。時には緩やかに下ってゆく。たいした勾配ではなさそうだが、帰路では疲労しているので堪えそう。歩き始めて2時間、見晴台で小休止を取る。因みにここまでに標識は6箇所あった(帰路確認)が、そのうち川見曽根、三度坂と見晴台の3箇所のみ気付いた。
 4時半を過ぎると、夜空が見えだす。試しに消灯したら再点灯できなくなってしまった。まだ照明が必要なので、手探りでザックから予備の懐中電灯を取り出す。暗闇を歩いて恐ろしくないのかと時々聞かれる。講談に出てくるような山賊は日本にはいない。夜行性の猛獣もいない。自動車は通らない。安全なことばかり。周りの景色に目を奪われることがないので、歩くのに集中できる。但し、暗い時は山登り・山下りは原則としてやらないことにしている。
 5時になると、消灯した方が歩きやすくなった。明るくなるにつれて青空が広がってきた。月見曲で二度目の小休止をとる。ここからは方向を南に向け大佐飛山(那須見台付近)て那須見台に向かう。勾配がきつくなり、歩き始めて4時間を過ぎたので疲れを感じるようになった。月見曲から十数分歩くと左手(北西)に那須連峰が見え始める。暫く立ち止まって眺めているうちに元気も回復してきた。この先の那須見台に行けば、明るさを増した那須連峰を期待しながら歩く。那須見台の標識のところに着いてガッカリ。樹木が育ってしまったせいか、那須連峰は全然見えない。
 那須見台を過ぎると、かなり西向に進むようになる。南東に大佐飛山が見え出した。男鹿岳の取り付きが近づいてきた。高原山探訪のYoshiさんの報告を見ながら注意して進む。1754ピーク(男鹿岳の南峰)の南側斜面を南西にカーブすると、右手の尾根は鞍部で、そのすぐ先にYoshiさんの報告にある法面が見えた。ここが男鹿岳取付きとすぐに理解できた。サブザックに水とアンパンを詰める。天候の急変を考えて雨具も入れる。残りはここにデポして鹿又岳取付きに向かう。
 男鹿岳取付きからは南に緩やかに登って行く。左手に4月に黒滝山から登った大佐飛山を間近にする。初めて経験した雪庇歩きを思い出す。プレハブの小屋に行ってみると、その手前に陸上自衛隊による建設の鹿又岳付近の紅葉念碑を見た。事務所だったらしい小屋の鍵はかかっていなかった。道路を更に登って行くと、前方に1758ピークが見えてくる。その手前(北側)で道路は稜線の左(東)から右に移る。色づき始めた斜面の左手を進むと前方に鹿又岳らしいピークが見え出す。補修工事中で道路中央に重機が置いてあった。そのすぐ先が鹿又岳取付きである。今日は念入りに地形図と照らし合わせてみる。
 前回は何故鹿又岳と違う1846ピークに登ってしまったか原因は分かっていたが、それを検証するするために鹿の又坂付近まで往復する。前回、1846ピークに取付いた仮設トイレのある鞍部から鹿又岳を振り返って見ると、山頂に槍状にやぐらの一本の棒が見えた。栃木273山の倉持氏もやぐらが見えた、と報告している。自分の場合はいまだにサングラス以外の眼鏡をかけたことがないが、最近は視力が衰えているので少し怪しい。そばに行かれた方はぜひとも確認していただきたい。前回はガスが出てきて景色は見れなかったが、今日は遠望がよく利く。景色は鹿又岳山頂で楽しめそう。鹿の又坂付近まで行って間違えた原因を再確認して鹿又岳取付きに戻った。

4 前回の間違いの原因(ひとり山歩き164参照)  思い込みが間違いのもと 地形図の確認もしなかった
 事前調査で鹿の又坂を過ぎる(塩原側から)とすぐに右手に鹿又岳があることを理解していた。塩那道路を歩いてくる途中で何回も地名標識を見た。地名と距離数の下に描いてある図を見ると、鹿又岳は鹿の又坂のすぐ北側に描いてある。何度もこれを見ているうちに、鹿の又坂が鹿又岳の北側取付きと思い込んでしまった。日留賀岳北東のヘアピンカーブを曲がって北東に進むとすぐに形のよい三角ピークが目に映った。鹿又岳も近づいたと思いながら歩くと、鹿の又坂の看板を見た。
 やっと鹿又岳取付きに着いた、と心がはやる。参考報告に北斜面を直登道路標識の一部したとある。急斜面で薮もすごい。その前に2m程のコンクリート法面を登らねばならない。ガスも出てきてかなり焦っていた。ここで冷静に地形図を見れば間違いに気付いたのであろうが、思い込みとは恐ろしいもので、なんの確認もせずに斜面に飛びついてしまった。薮に阻まれて一旦断念し、場所を変えて再トライするも薮に阻まれてしまった。この時点では自分の体力と技術ではこの斜面を登ることは不可能と残念だが諦めた。
 翌日の男鹿岳に備えて泊まるところを求めてひょうたん峠に向かう。ほんの僅か北に進んだ鞍部は工事資材置き場で仮設トイレが目についた。振り返って稜線を見上げると薮は濃いが稜線の勾配は緩い。ここからなら何とかなると、気を取り直して薮に突入した。ネマガリダケ、シャクナゲ、ハイマツが混在する薮は強烈であった。薮を突破するのに夢中になっているうちにガスがどんどん上がってきた。これはヤバイと力を振り絞って山頂を目指す。ガスは益々濃くなってきた。山頂らしい平なところにたどり着いたが、ガスで先がよく見えない。薮の向こうはもう少し高いような気がするが、下山中に方向を間違えると、ややこしくなるので、三角点を未確認のまま鞍部に戻った。
 鹿又岳山頂には測量に使用した三本棒のヤグラがあることは96年9月に前出の倉持氏が写真入りで報告しているのは知っていた。自分が参考にした02年の報告には山頂にはヤグラも標識もなく、ハイマツの近くに三角点があった、と書いてあった。6年も経過したのでヤグラも朽ちてしまったのだろうと考えていた。このヤグラはピークを間違って登った原因とは全く関係ないが、これがあるのを知っていれば少なくとも山頂を踏んだとは思わなかったであろう。
 地形図で確認するという基本を怠ったことは、恥ずかしい限りである(そのために何時もケースに入れた地形図を首からぶら下げている)。この報告によって間違えて1846ピークに取付いた方には、深くお詫びを申し上げたい。 

 鹿又岳に登る  シャクナゲ・ハイマツを避け笹薮を進むと楽に登れる  鹿又岳山頂
 鹿又岳北側道路の変曲点付近から、小尾根に取付く。樹木の助けを借りて三メートル程急斜面を登り、そこからはネマガリダケの薮掻き分けて北に登る。シャクナゲやハイマツは極力避けて通る。それでも時には突破せねばならない。ネマガリダケの部分は結構多いので、難渋するほどではない。前回間違えて取付いた稜線の薮に比べたら楽だった。山頂直下で赤テープの付いたルートに出合った。場所によっては鉈で樹木が切断してあった。これを追うとすぐに鹿又岳の山頂に着いた。一本は朽ちてしまい二本棒ではあったが例のヤグラが残っているのがすぐに目に入った。その下には三角点があり、そばの立木には山部さんの真新しい山名板が確認できた。写真を取り終えて周りを見渡すと取付き前にはガスは気にならなかったのだが、急に立ち込めてきた。
 滞在5分で例の赤テープを追う。かなり筋がついている。あと何年かすると完全に踏跡になってしまいそう。なんの苦もなく10分足らず(正確には8分)で変曲点から20メ−ターほど南の道路に下れた。その斜面は薄い筋がついていた。

6 男鹿岳に登る 雨でずぶ濡れになる 薄い筋を追って薮をこぐ  山頂で山部さんと感激の出会い
 男鹿岳取付きに戻る途中で雨が降ってきた。記念碑そばで雨具を着用した。男鹿岳取付きに戻ったときには本降りになっていた。デポしたザックが濡れてしまった。幸い内部までは濡れていなかった。サブザックに水を補充し、デポのザックにはビニールシートをかけて登山準備を整えた。雨足は益々激しくなる。山部さんが別ルートから男鹿岳に登っていなかったら、断念したかもしれない。
 意山部さん(男鹿岳山頂で)を決して鞍部斜面の薮に飛びつく。数分で尾根鞍部に登りつくと前身びしょ濡れとなっていた。尾根には胸程度のネマガリダケとかん木の薮が繁茂してる。ネマガリダケの下についている薄い筋を追って尾根を登る。時々は筋を見失い、薮にもぐりこんで探したりする。頭から足までドブネズミのようになってしまった。ゴアテックスの雨具を着用しているので体を濡らすことはなかった。防水加工のないウエストポーチはたまらない。中のものはビニール袋に入れてあるがカメラのレンズをが濡れないかと心配。ICレコーダーはビニールに入れて使用したが、段々濡れてきた。濡れてしまうと記録できなくなるので極力使用しないようにした。案の定、途中の経過が記録されていなかった。
 1754ピーク(女鹿岳と呼ばれることもある)からは北に向きを変えて細尾根を進む。間違えてどっかへ行ってしまう心配はないが、薄い筋を見失うと探すのに苦労する。自分は性格的に雑で、踏跡を失った場合に丁寧に探すよりは力ずくで突破する傾向がある。途中で幸いにも雨が止んでくれた。前方にはガスに半分隠れた山頂が見え出した。鈴を鳴らしながら登って行くと、山頂から叫び声が聞こえた。山部さんが山頂にいることが分かり急いで登る。男鹿岳の山頂部につくと、「こっちこっち」の声が薮の陰から聞こえた。声の方に行ってみると、ホームページで見慣れた山部さんが現れた。掲示板を通じてお互いに知っていたが、会うのは初めて。感激で握手する手に力がはいる。何年も知古であったかのようにすぐに会話が弾んだ。お互いに別ルートで男鹿岳を目指したので、出会うのはひょうたん峠辺りかと思っていたが、山部さんは横川発で福島県境尾根の薮で前途を阻まれ予定より遅れたのが、自分には幸いして山頂での感激的出会いとなった。
 山頂は樹林の中で展望はない。腰丈の笹が茂った東側には三角点があり。そばに山部さんの山名板。少し離れた所にMWVの青色プーレートが認められた。よくHPに出てくる大きな山名板は三角点の少しし西側のシラビソのそばに割れて落ちていた。山頂にいる間に天気は急激に回復して青空が広がってきた。山部さんとの話は尽きないが、先が長いので下山にかかる。今登ってきたばかりなので、自分が先行するが薄い筋道を失うことが多い。途中から山部さんに先行していただく。さすがは山部さん薄い筋を外すことはない。無事に下山できた。話をしながら荷物の整理を行う。

7 帰路  
 
山部さんと再会を誓って左右に別れる。明るいうちに板室ゲートに戻れるのは確実。帰路で塩那道路の様子を記録しようと考えていたが、先刻の雨でICレコーダーを濡らしてしまった。いつものように歩きながら記録することはできない。疲れた身にはペンで記録するのは大儀。結局チェックポイントを記録するに留まった。展望としては、那須見台先での那須連峰以外には記憶に残るような展望は少なかった。
 板室ゲート前にミニバイクにまたがった若者が数名たむろしていた。ゲートを潜って、こちらから挨拶すると、予想外に挨拶を返してきた。朝2時にここ出発して鹿又岳と男鹿岳に登ってきたというとビックリしたらしく、別れ際に「お疲れ様でした」と声をかけてくれた。優しい心遣いに苦笑い。
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