ひとり山歩き148 : 山王峠から於呂倶羅山経由で高薙山をピストンしてきました。稜線にはかなりの部分に残雪があり、ヤブこぎの労力は和らぎました。稜線からは彼方此方で展望を楽しむことができました。
山王峠から於呂倶羅山(2020m)〜高薙山(2180m)往復
2004年4月30日(金) 晴れ
1 行程
自宅(2:05) = 登山口(山王峠北の送電線下)(4:10/4:25) − 東の肩(5:35) − 於呂倶羅山(5:55/6:05) − 1949ピーク(6:25/6:40) − 金田峠(7:00) − 1971ピーク(7:45/7:50) − 鞍部(8:10) − 2193ピーク(9:30/9:35) − 高薙山(10:10/10:40) − 2193ピーク(11:20) − 鞍部(12:40) − 1971ピーク(13:05/13:10) − 金田峠(13:45) − 1949ピーク(14:15/14:25) − 於呂倶羅山(15:20/15:25) − 東の肩(15:40) − 登山口(16:40/16:55) = 自宅(19:25)
2 自宅 − 登山口
 無雪期の高薙山は強烈なヤブ山と聞いている。前々から一度は無雪期に挑戦してみたいと思っていた。雪の多少残る今の時期に偵察をかねて高薙山へ行ってみようと考えた。同時に大好きな稜線歩きをするために山王峠から於呂倶羅山に登り、高薙山へ稜線伝いに行くルートを計画した。
 光徳入口で国道120号を右折して約1.5km先の光徳牧場へ進む。山王林道を北上し、右に太郎山登山口の標識を見るとその200m先が山王峠である。そこから約1km進むと、送電線が見える。この下の路肩に車を駐める。ここが於呂倶羅山の登山口になる。準備をしながら歩ける明るさになるのを待つ。
3 登山口 − 於呂倶羅山  たんねんにテープを追うと無駄な労力を使わないで済む
 左上に見える鉄塔目指して巡視路を辿る。鉄塔の右手から薄い踏跡にはいる。テー於呂倶羅山(手前左) 三岳(手前右) 太郎山、大真名子山、男体山(奥左から) (2000Pkara)プを追って登って行くと進路を大岩が塞ぐ。大岩(1789P)を登り様子を探る。大岩から一旦北西に下って尾根に取り付くことが判明した。大岩までは約20分で適当なウォミングアップとなった。
 大岩からもテープが案内してくれる。コメツガ林の笹斜面をテープを無視して登って行く。とにかく方向を決めて登って行く。時々テープに出合うが、また見失う。ニ三度これを繰り返し以後はテープを追う、と薄い踏跡を辿れる。復路で確認したのだが、品評会をしているのではなかろうかと思える何種類ものテープが歩きやすいところを案内してくれる。丹念にこれらを追うと余分なヤブこぎをしないで済む。
 コメツガがやや疎らになった笹道を歩いていると、勾配が緩やかになる。このあたりが東の肩で、ここからは引き締まった残雪の上を歩ける。山頂手前の小コブあたりは残雪が少なく、腰までの笹原を歩くが気になるほどでない。皇海山、奥白根山、温泉ケ岳、男体山等が見えるようになると、すぐに於呂倶羅山の頂上に達した。
 山頂には三角点と2枚の山名板を見る。展望は良好で、皇海山、奥白根山、男体山、太郎山、三岳に加えて、これから行こうとしている高薙山が望める。 
4 於呂倶羅山 − 高薙山  残雪が適当にあり、ヤブも隠れている 好条件で於呂倶羅山から見る高薙山稜線  左端:奥白根山 その右:温泉ケ岳はからずも登頂に成功
 今日は偵察が主目的で、あわよくば高薙山を踏もうという考えでいる。明るいうちに登山口に戻るためのタイムリミットを11時半と決めた。これを過ぎたら即撤退を再確認して、於呂倶羅山から西の稜線に歩を進めた。
 於呂倶羅山からはコメツガを主体とした針葉樹林で笹、小木といったヤブはそれほど目立たない。稜線には薄いが踏跡は認められる。テープも多く比較的歩き易いところである。北側の断続する残雪部も利用する。鞍部からほんの僅かな登りで1949ピークに達する。このピークは腰までの笹で覆われているが、針葉樹が疎らで男体山、太郎山と於呂倶羅山がクッキリ展望できる。前方右手には2193ピークから高薙山への稜線も視野に入る。
 1941ピーク直下は低い笹で覆われているが、下ってゆくと残雪が増えた。安全を期して以後は軽アイゼンを着用した。鞍部が金田峠でここからはしばらく笹原が続く。左下へガレ沢が落ちている。付近に赤リボンがぶら下がっていた。刈込湖から登りつくのはここであ三岳と刈込湖  (奥は男体山)  (2193鞍部から)ろうか。昔は日光側と栗山側をつないだ峠道があったらしい。更にこの稜線には修験道もあったと聞くがその名残はない。強いて言えば、稜線に残る薄い踏跡が昔の名残とも思える。すぐ先に石祠があるので、見逃さないよう稜線を進む。10分程緩やかに登って行くと、二本の樹木の前にやや傾いた石祠を見つける。かなり古いものらしい。銅扉が付いていた、と3年前にHPに報告されている。中に100円玉が残っているだけで扉はなかった。
扉は日光市の重要文化財の指定を受け、輪王寺で保管されているとのことであった。(宇都宮勤労者山の会HPより)
 石祠からの登りは針葉樹林の笹付きの急登となる。石楠花等のヤブはそれ程でもないが、断続する残雪部を利用して登る。登りがなだらかになると1971ピークで、石楠花の多い針葉樹林の中で、展望はよくない。
 シラビソの多い針葉樹林の残雪部を下るが。雪下には倒木は多いがヤブは少なそう。鞍部付近で左下にガレ沢を見る。刈込湖に向かって伸びる尾根も見えた。復路でこの尾根を下ることもを想定して目印を探すと赤リボンがぶら下がっていた。稜線のすぐ北側には残雪が続く。このあたりはネマガリダケが隠れているように見えた。鞍部からの登りは段々急になり、標高1950mを過ぎると残雪部は捉まるものがなく登りづらい。標高2000mに地形図に現れない小さなピークを通過するが、ここからは奥日光の山々が見渡せる。
 2000ピークを過ぎると、しばらくは緩やかな残雪歩きができる。標高20高薙山頂にて50mを越えると、再び急登となる。残雪部は捉まるものがなく登りづらい。止むを得ず残雪部を外して登る。このあたりになると景色を見ている余裕はない。平坦になると2193ピークにやっとの思いで辿り付く。ここからは方向を変えて高薙山に向かうので、呼吸を整える。高薙山まで休憩を入れても2時間で戻れる。タイムリミットの11時半には充分間に合うことを確認して、樹林に囲まれ展望のない2193ピークをあとにする。この先は針葉樹林で残雪が連続する。展望が得られないので、慎重に地形図を見ながら概ね北北東に向かう。15分で第一のピークを通過する。最高部の岩に登ってみたら、男体山と太郎山方面が展望できた。更に10分後に第二の小ピークを通過する。高薙山の山頂が近づくと、針葉樹林は密になり薄暗くなる。ヤブを避けて北側から戻るような格好で登ると、たいしたヤブに逢わずに高薙山の頂上に達した。残雪が適度にあったことが幸いして、思ったよりはるかに楽に山頂を踏めた。無雪期の登頂の偵察ならもう少し遅い時期の方がよかったような気もするが、難しいとされる高薙山の頂上を踏めた喜びは大きい。
 山頂は針葉樹林の中で展望は殆どない。それでも枝越しに女峰山、太郎山、男体山が読み取れる。三角点を囲んで5枚の山名板が立木にかけってあった。(山部、AKI山、KUMO、古賀志山歩会の各氏と不明) 
5 下山  高薙山下りと於呂倶羅山登りで石楠花のヤブにもがく  往路を辿ったが充分展望を楽しめた
 タイムリミットに約1時間の余裕がある。帰りはノンビリ帰えれると下山にかかる。山頂から西に下る踏跡があった。方向が一致しているのでこれを辿る。下り始めたら前方に燧ケ岳が見えた。カメラを取り出して撮影し、気分をよくして石楠花の混ざるコメツガ林に突入する。石楠花に足を捕られ身動きができなくなる。前の樹木を掴んで振り切ろうとしたら、樹木が倒れ足を縛られたまま転倒する。右脛を強打するとともに、左足首をひねる。「好事に魔多し」とはよく言ったものだ。脛の痛みも引き、左足首の痛みも歩行に支障を及ぼすほどではない。
 明るいうちに下山は確実だし疲れているので、あとは安全第一を心がける。結果的には登りより時間がかかってしまった。車に着いた頃には足首の痛みは感じられなかった。家に帰り車から降りると左足首に痛みを感じる。軽い捻挫のようだ。これを書いている現在も多少痛みを感じるが、大したことはなさそう。
 往路に比べ気温が上がっているせいか、踏み抜きが増えた。多少足首を庇っているせいもあり足取りが重い。それでも充分展望を楽しむ余裕はあった。於呂倶羅山の登りで薄い踏跡から外れて石楠花のヤブに飛び込んでみた。やはり強敵だ。10分程もがいたら、左にコメツガ林が見えたのでそちらへ逃げる。無雪期の高薙山登頂は石楠花のヤブこぎにかかっているような気がした。
 於呂倶羅山からの下りはテープ標示を丹念に追った。テープ付近には薄いが踏跡は認められる。テープのある残雪部も下には踏跡があるのだろう。下ってゆくうちに、夥しい数のテープが取り付けてある。テープ品評会の様相を呈する。10mと間があくことがない。また、同じ立木に三種類が取り付けてあることもある。これが見事に踏跡を追うように取り付けてあるのだ。お陰でさしたる苦労もなく下山できた。利用しておいてケチをつけるのは気が引けるが、何故こんなに何種類もテープが必要なのだろうか。他人がつけたものを利用すればよいではないか。金田峠と1971ピークと2193ピークの鞍部の赤リボンのように必要な所のテープは有り難い。
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