ひとり山歩き132 : 田沼町塩田から南尾根で石尊山に登り、近沢峠経由で大久保山まで尾根歩きを楽しんできました。途中の尾根は植林と自然林の混在で多少薮に悩まされましたが、ノンビリと山歩きが楽しめました。大久保山からは南西尾根経由で西の沢林道へ下りました。
田沼町の石尊山(530m)から大久保山(661M)へ尾根歩き
2004年1月26日(月) 晴れ
1 行程
自宅(5:55) = 田沼町塩田(7:00/7:25)  − 石尊山(8:40/8:55) − 562ピーク(10:20/10:30) − 近沢峠(11:25/11:30) − 大久保山(12:20/12:40) − 西の沢林道出合(13:20) − 近沢線出合(13:40) = 塩田(14:00/14:10) = 自宅(15:20)
2 自宅 − 田沼町塩田  田沼町に石尊山と大久保山があるのを知り、早速尾根歩きを計画
 1月20日に高鳥屋山から下山の途中で田沼町松坂の北西に三角形のピークを見つけて興味を持った。家に帰って地形図、地図で調べたが判明しなかった。インターネットで調べてみると石尊山ということが分かった。【「山と渓ときのこと酒と」でお馴染みの極楽蜻蛉氏が大久保山(地形図に記載なし)方面から石尊山(同じく記載なし)へ尾根歩きをしている】
 石尊山という名称にも興味を持っていたので、早速登ってみることにした。単に登るのでは面白くないので、石尊山から大久保山まで尾根歩きをしてみることにした。
 石尊山には西側から尾根を直登すべく、田沼町塩田を目指し、例によって夜明け前に家を出る。田沼の山は3回連続なので道をよく覚えってしまった。塩田BS付近で尾根筋を観察して、大久保山から下山して戻る道を調べに行く。再び塩田BS付近に戻り、道路脇の広場に車を駐める。
【石尊山を国土地理院のHPで検索すると、10件検出できる。そのうち4件が栃木県にある。今日登る石尊山は含まれていない。インターネットで調べてゆくと、地形図に記載のない石尊山が各地にかなりの数存在することが分かった。石尊詣で(大山詣でともいう)の本家本元は、神奈川の丹沢山塊の大山の大山寺阿夫利神社である(大山寺は石尊大権現と呼ばれたが、明治に神仏分離で廃止された)。誰でもが大山まで出かけられないので、付近の500級の低山に石尊山の名を冠して、参拝に登ったのが石尊山の由来】 
3 塩田 − 石尊山  薮の南尾根を直登 山頂直下には急峻な岩場あり塩田から見る石尊山(中央やや左のピーク)
 小柴林道に入り適当な所から南尾根に取り付こうと、塩田BSの100m先から林道に入る。林道入口の民家で焚火をしている老婦人に登山口を聞くと、もう少し戻った神社から地元の人は登ると聞いた。駐車地の方に戻って神社を探すも分からない。仕方なしに南尾根めがけて山の中に突入する。少し薮こぎをすると作業道に出合ったので追ってみると、すぐに行き止まってしまった。杉植林の浅い谷に薄い踏跡が東に向かうのでこれを追う。標高300付近で左手の尾根に取り付いた。
 この尾根の踏跡をひたすら追って東に登る。尾根筋は主として自然林で、処々で植林が混ざる。踏跡は明瞭だが、ブッシュには悩まされる。顔に枝が当たるので、手刀を切ったり目を細めたりして目を保護しながら登る。駐車地辺りではマイナス4℃で指先が痛かったが、山中では気温が上がり1℃と快適。
 ブッシュが薄くなると勾配は急になり、標高450で岩場に突き当たる。右手を見ると獣道か踏跡かが谷から登ってきている。ひょっとしたら神社からの登山道なのかも知れない(推測)。巻き道が見つからなかったので、岩場はかなり高いが直登する。30mほどの岩場を登りきって更に数分登ると、石尊山の頂上に達した。
 山頂の中央に松の木が生えていて、その前に三角点と朽ちた祠が目についた。山頂は樹林の中だが西側は疎林で結構展望は楽しめる。北北西に皇海山と袈裟丸山、西北西に赤城山の頂部が白い姿を見せてくれる。 
4 石尊山 − 大久保山  尾根筋は自然林と植林の混在 薮あるも危険個所はない 多少の展望あり 
 北北西に位置する大久保山までの略中間の562ピーク目指して、先ずは石尊山を北北西に下る。この下りが急勾配で更に悪いことには疎林であるため、手がかりがなく下降するのに苦労する。登るのも大変だが、下る方が危険が伴うのでいやらしい。40m程下ると樹木が密になり手がかりができて助かった。石尊山直下の岩場とこの下りが本日一番の難所であった。ひとつ小さなピークを越すと暫くは緩やかな勾配となる。尾根筋は自然林が多いが処々で植林が姿をあらわす。自然林はコナラが多く落葉を踏みしめて歩くのはとても気持ちよい。薮も多少あるが、石尊山の登りに比べればどうということはない。地形図の破線部(破線は見当たらなかった)を過ぎると右手に大鳥屋山から岳ノ山が枝越しではあるが明瞭に確認できる。前方には男体山の頭も確認できた。破線の先の460ピーク下りでは、南西に富士山を確認。この時期は一年のうちで最も遠方が見通せるようである。

祠 : 左から 石尊山頂  近沢峠分岐  近沢峠

 510ピークから一旦下って、自然林と植林を交互に緩やかに登ってゆくと薮の中のピークに達する。ここが562ピークで中央に三角点が設置されている。立木の枝に1月10日に愛宕山の先の807ピークで見たのと同じR.Kさんの標高プレートが下がっていた。西側には枝越しに足利CCが見えるだけ。
 562ピークを下り始めると、前方に男体山の頭、北東に尾出山、岳ノ山と大鳥屋山が目に付く大久保山頂  左上はR.K氏の標高プレート。10分程は篠竹、刺や蔓の薮が少しばかり煩い。562ピークからは色の褪せた橙色のリボンが頻繁に見かける。二つほど小さなピークを越して緩やかに下ってゆくと踏跡の右手に石祠が祀ってあった。前面に三峰山・琴平山 側面に明治14年4月と彫りこんであった。石祠のすぐ先の分岐で北西の尾根を下ると数分で近沢峠に辿り付く。峠には近沢線開通記念碑と石祠が並んでいる。
 近沢峠を左(飛駒側)に100m程進むと、三毳材展示林の看板と駐車スペースがある。その右手のリボンに案内されて踏跡に入り、大久保山への尾根を目指す。急斜面を登ること10分で右植林、左自然林の間に踏跡を見つける。大久保山目指して尾根を北西に登ってゆく。植林と自然林が混在するが、特に障害物もなければ展望もない。標高600m付近から急勾配になる。ここを登りつめると大久保山の頂上に到着。
 山頂部は伐採されていて中央に三角点があり、傍の立木に562ピークと同じようにR.Kさんの標高プレートが取り付けてあった。北に男体山の頭、北東に尾出山、岳の山、大鳥屋山が枝越しに望める。日光浴を楽しみながら昼食を取り下山に備える。 
5 下山  南西尾根から林道へ下る 小尾根に江戸時代の祠を見る  
 当初からの計画通りに南西に延びる小尾根から林道へ下る。南西に延びる小尾根は大久保山頂からは全く見えない。方向を南西に定祠 : 南西尾根の標高500m付近で見ためて植林の急斜面を下降する。時間にして数分、高度で60m程下ると尾根の形が現れ、段々尾根筋が明確になる。尾根筋は植林が主で所々で自然林となるが薮は少ない。尾根上には薄い踏跡(獣道かもしれない)が続き、多少岩っぽい所もあるが困難を極めるといった個所はない。標高500m付近の小さな瘤の上に石祠が祀ってあり、寛政4年と彫りこんであった(注: 1792年、徳川11代将軍の時代でこの年に漂流民大黒屋光太夫がロシアから根室に戻った)。こんな所で祠を見かけるとは夢にも思っていなかった!! 江戸時代から修行か参拝目的でこのような山中まで人が入っていたのを知ってビックリする。こんな発見も低山の尾根歩きの楽しみ。
 標高400mくらいまで下ると右下に平坦な谷底が見え出す。地形図の実線であろうと推測しながら、更に少しばかり下ると右下数メーターに林道を見つけた。これが地形図に実線で表記の西の沢林道で、これを下ることにした。林道はそれ程荒れていない。20分程ノンビリと林道を歩くと、近沢線に出合った。飛駒目指して近沢線を10分程歩いた所で、熊鷹山帰りの古河市からの三人グループの車に載せていただき駐車地に戻る。
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